[コラム]図書紹介10:文様集(1) *会員限定*

本コラムシリーズでは、株式会社千總に遺る版本や図書類をテーマごとにピックアップしてご紹介しています。今回から、染織業にもゆかりの深い「紋」にまつわる書籍を2回に分けてご紹介したいと思います。

 

皆さんはご自分の家紋をご存知でしょうか。黒留袖や紋付き袴など、和装では重要な意味を持つ家紋ですが、洋服が主流となった昨今は家紋になじむ機会は減る一方です。

 

家と紋

Fig.1 〈江戸風俗図屏風〉 元禄期(1688~1704)頃

しかし、京都のにぎわいを描いた洛中洛外図などには、暖簾を掲げた商家が立ち並ぶ様子がみられるものが少なくありません。それらの暖簾を見てみると多くが何らかの文様を表示しており、商家であれば商標、すなわち企業ロゴとみることができます。千總所蔵の〈江戸風俗図屏風〉にも、藤の紋を染め抜いた暖簾の下で婦人が一休みする様子が描かれます(Fig.1)。

 

Fig.2 〈暖簾〉

商家の紋の例として、例えば千總は千切紋を商標としています。これは奈良の春日若宮神社で行われるおん祭りに使用される、千切台という威儀物をかたどった紋です。千切台を真上から見た様子を図形化したもので、3つの隅切り型を州浜形に繋いだ中に、千切台の上に置かれた橘や菊などの植物が表されています。

千總の前身である千切屋の当主は、遠祖が宮大工であったと伝わっており、奈良の春日大社とかかわりの深い春日神人でした*1。神人として春日大社へ納めていたのが、この千切台でした。中世末期に奈良の宮大工から京都の法衣商へ転身して以降も、出自を示すシンボルとしてこの千切紋を使い続けています。一家がもつアイデンティティを紋に反映させた例といえるでしょう。

 

千切紋のように複雑な紋も、要素に分解すれば隅切形と花束に分けられ、花束はさらに橘、菊、梅などに分けられます。日本の家紋は幾何学模様や動植物を単純化したモチーフの組み合わせによって成り立っているものがほとんどです。つまりモチーフの組み合わせにより紋は無限に生み出され得るのです。

 

千總の家紋帳

千總において基本的な紋を収めたのがこの「紋本」です。

Fig.3,4 「紋本」1冊、肉筆、1891(明治23)年1月写

様々な紋の基準形が手書きで並べられたこの本は、千總方から「榊原」なる人物に依頼されて書き写されたことが千總の資料収集台帳から分かっています。

原本の所有者は友禅画家・北村甚七でした。甚七は近代京都を代表する画家・竹内栖鳳の実家の小料理屋に出入りし、幼い頃の栖鳳へ画家を志すきっかけを与えた人物とされています*2。また「榊原」についても、明治期に千總の友禅下絵を手掛けた画家で国学者の榊原文翠の存在が想起されます。近代の千總が友禅下絵を竹内栖鳳を含む京都画壇の画家たちへ依頼したことは、既に「型友禅の広がり」でご紹介しているとおりですが、千總における友禅業を媒介として、千總と友禅画家と画家とが交流をもったことが本資料からもうかがえます。

また「紋本」冒頭(Fig.3)は抱牡丹紋と八藤紋を含む牡丹と藤紋のバリエーションから始まりますが、これは両紋を寺紋とする真宗大谷派東本願寺の御用を千切屋が請け負っていたことと無縁ではないでしょう。そのような点でも、「紋本」は千總の幅広い活動が読み取れる無二の資料といえます。

Fig.5 同上(部分)

紋の上の枠は紋の名称を書き込むのに使われますが、一部には筆慣らしとも思える描き込みがみられます。原本にもこのような描き込みがあったかは分かりませんが、筆者の細やかな筆づかいがよく感じられます。

 

江戸時代の家紋帳

Fig.6,7 『紋帳図式綱目』1冊、多賀金助画、1762(宝暦12)年

「紋本」は近代に千總の注文で写されたものですが、紋の見本帳としては一般に流布したものもみられます。『紋帳図式綱目』は780種もの紋を収録する見本帳で、ひとつの題につき複数のバリエーションが掲載されているため基本的な紋を網羅的に見ることができます。

例えば桐紋のバリエーション(Fig.7)では、五三の桐(556番)を基準として、花弁が尖った鬼桐(559番)、3つを外向きに合わせた三ツ五三の桐(561番)、壺型に改変した壺桐(562番)など様々なものがみられます。

千切屋の千切紋は隅切り型と花束紋の組み合わせでしたが、モチーフの組み合わせだけでなく一部を別のモチーフに置き換えたり形を改変したりするだけでも別の紋としてみなされます。日本の家々はこのようにして自家の紋を獲得し、現代まで受け継いできたのです。

 

また、一見家紋帳のようですがそうではないものもあります。

Fig.8,9 『新形紺名紋帳』1冊、木の屑坊作・画

『新形紺名紋帳』は木の屑坊という人物が集めた紋を説明とともに収録した一冊という体裁をとっています。しかし、内容をよく見てみると、「鼻面髙」(Fig.8右頁左上)、「断売西瓜」(同前左頁左下)や「からかみひきて」(Fig.9右頁左上)など現実に家紋としては使われてない紋ばかりです。説明文も、「断売西瓜」は「色ゆへに すいくわも しかをたたり見る かわいたときは いゝもんだ」、襖の引手を模した「からかみひきて」は「引く手あまたの茶や女の紋によろし」など、狂歌・川柳や洒落を紋に合わせたものだと理解できます。紋帳というよりも狂歌集に近く、そのユーモアは「紺名紋帳」(こんなもん帳)というタイトルにも表れています。

この本が購入されたのは「紋本」と同時期頃と考えられますが、「紋本」のように家紋のアーカイブではなく戯作の一種として千總で受け入れられたのでしょう。

 

 

[註]

*1 西山剛「千切屋をめぐる創業伝承と史実に関するノート」『京都老舗の文化史 千總四六〇年の歴史 図録』京都文化博物館・株式会社千總、2015年

*2 竹内逸『栖鳳閑話』改造社、1936年

 

 

第1回「千總と近世文化

第2回「団扇本

第3回「ちりめん本

第4回「江戸時代の画譜

第5回「名所図会

第6回「武具図解本・目利本

第7回「小袖雛形本

第8回「有職故実書

第9回「女子用往来

(文責 林春名)