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    [コラム]図書紹介6:武具図解本・目利本 *会員限定*

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    図書紹介コラムでは、株式会社千總所蔵(以下、千總)の図書資料を各回のテーマに分けてご紹介しています。今回は有職故実に関連する書籍のうち、武器・武具・甲冑類を図解した書籍や目利(めきき、鑑定)のガイドとして出版された書籍についてご紹介します。

     

    端午の節句に五月飾をしつらえられた方も多いと思いますが、兜飾や鎧飾といった節句飾には、男の子が健やかに成長したくましく育つようにという願いが込められています。では、日本人が武具に対して持っているそのようなイメージはどこから来たのでしょうか。

    平安時代末から江戸時代に至るまでは、弱肉強食の戦乱の時代が続きました。そんな中武士の命を預かったのは身を守る甲冑であり、馬に付ける馬具であり、弓矢や刀剣などの武器でした。力の象徴ともいえるそうした武器・武具ですが、機能性が求められるとともに身に着ける者の好みも反映され、独特の美しさを形作っています。

    図書紹介コラム第6回の今回は、武器・武具・甲冑類をテーマとした千總所蔵の版本をご紹介し、その魅力を探っていきたいと思います。

     

    武器の美

    (Fig.1)『刀剣図考』栗原信光編、1843(天保14) 年
    (Fig.2)『刀剣図考』栗原信光編、1843(天保14) 年

    武威の象徴と考えられがちな刀剣ですが、「邪を断つ」イメージや祈願の意味合いから、寺社へ奉納品された例も多く遺されています。Fig.1,2にみられるような細身の長寸で柄が強く反る形の太刀は古い奉納刀にしばしばみられるもので、奈良時代以前のまっすぐした刀剣から徐々に日本刀らしい反りのある刀剣へと変化する時期に作られた姿が原型となっています。このような姿の太刀は儀仗用として宮中の服制にも遺っています。

    Fig.1,2は鶴岡八幡宮所蔵の太刀ですが、刀身は確認できなかったのでしょうか、外装に関する記述のみが細かく記されています。この作品を特徴づける兵庫鎖の帯取りも、その構造が分かるよう丁寧に写されています。

     

    刀剣は制作される地域、時代、刀工の流派を反映して、全体の形(姿)や細部に変化がもたらされています。つまりそれぞれの刀剣はそれ自体が作られた時代背景を映す鏡であるともいえるのです。

    (Fig.3)『装剣備考』栗原信充編、1845(弘化2)年
    (Fig.4)『装剣備考』栗原信充編、1845(弘化2)年

    『装剣備考』には、刀剣から刀装を外し、茎(なかご、持ち手の部分)を顕わにした様子が写されています。一般的な刀剣は茎の部分に作者の銘が入り、その書体や状態は作者を鑑定する際の大きなヒントとなります。

    Fig.3,4に示されているのは平安時代に備前(現岡山県東南部)刀工・友成による作刀で、厳島神社へ奉納された太刀です。もと平教経の佩刀であったとの伝承があり、現在は国宝に指定されています。

    写真やインターネット、展覧会などによって気軽にあらゆる触れられる現代の私たちとは異なり、当時の人々が名刀の姿をしのぶ手段はほとんどこうした版本に限られていました。刀剣の姿を正確に版本に写すことは難しいですが、限られた手段で最大限に情報を伝えようと苦心しているさまが、紙面から伝わります。

     

    武具の美

    (Fig.5)『甲冑図式』栗原信光編、1843(天保14)年

    『刀剣図考』『装剣備考』と同じく栗原伸允が天保14年に編纂した『甲冑図式』も、千總の所蔵となっています。栗原信光は江戸時代後期の故実家で、彼が出版したこれらの武器・武具関連著作は武士の教養書として重用されました。

    (Fig.6)『甲冑図式』「春日神庫冑全図」
    (Fig.7)『甲冑図式』「春日神庫冑全図」
    (Fig.8)『甲冑図式』「春日神庫冑全図」

    「春日神庫冑全図」と題されたこちらは、現在「赤糸威大鎧(梅鶯飾)」として知られる春日神社所蔵の鎌倉時代の甲冑に付属する兜です(Fig.6~8)。当該品は大鎧の名作として知られ、千總当主家である西村家に伝わる五月人形には、この兜を昭和期に模造したものがあります(参考:千總ギャラリー「季節展示 五月人形」)。

    (Fig.9)『単騎要略製作弁』村井昌弘編、1813(文化10)年
    (Fig.10)『単騎要略製作弁』村井昌弘編、1813(文化10)年
    (Fig.11)『単騎要略製作弁』村井昌弘編、1813(文化10)年

    栗原信充による書は名品図録のような内容ですが、こちらの『単騎要略製作弁』はより一般化した内容を載せています。さまざまな兜の形(Fig.9)や、甲冑の構造を正面・背面に分けて図示(Fig.10,11)して各パーツの名称を図解するなど、初学者向けの内容となっています。

    現代の私たちと同じく、江戸時代後期の人々も、戦乱の時代が遠ざかるとともに武家故実が過去のものとなりつつあったのでしょう。

     

    金工の美

    近年高まった刀剣ブームに伴って、刀剣を装飾する金工品にも注目が集まっています。刀剣を安全に持ち歩けるようにするこうした金具を刀装金具といいます。

    江戸時代における刀装金具は大きく家彫と町彫の2系統に分かれます。家彫とは幕府の御用金工師を務めた後藤家による作品で、町彫はそれ以外の一般向けの金具を指します。家彫の刀装金具は武士の正装とされ、権威の象徴でもありました。

    (Fig.12)『装剣奇賞』稲葉通龍著、1781(天明元)年

    『装剣奇賞』は刀装具(刀剣に付属する金具)や根付などの細密工芸をまとめた手引書で、千總には7冊が揃っています。Fig.12は後藤家の系図を示したページです。

    刀剣や金工などは古今を問わずコレクターも多く、また偽物も多かったため、すすんで審美眼を養い、鑑定の技術を身に付ける必要があります。そこで出版されたのが、こうした目利本(めききぼん、鑑定ガイドブック)でした。

     

    (Fig.13)『金工鑑定秘訣』野田敬明編、文政2(1819)年

    例えば、後藤派の初代に後藤祐乗という人物がいます。室町幕府8代将軍義政に仕え、名工と評価の高い祐乗ですが、自身で銘を入れた作品は遺っていません。したがって祐乗の作品を探すには、作風から鑑定するほかありません。『金工鑑定秘訣』はそのような需要に応えた、後藤派に特化した金工鑑定の秘伝書です。

    (Fig.14)『金工鑑定秘訣』天巻(部分)
    (Fig.14)『金工鑑定秘訣』地巻(部分)

    天(上)巻の各ページには様々な刀装具がほぼ原寸大の図入りで紹介され、部分的に作家の手癖が見られる部分には注記が付けられています。また、地(下)巻には見返しに「二之巻極秘伝」と記され、後藤派各代が龍、獅子などの代表的なモチーフを制作した際に見られる特徴が分かりやすくまとめられています。Fig.14,15に掲載されているのは、刀剣の外装に付ける目貫という金具です。数センチ四方の小さな金具ですが、小宇宙と称されるほどに金工師の技術が込められています。

     

    余談ですが、今回ご紹介した『甲冑図式』『武器袖鏡』『鞍鐙図式』『装剣備考』は、同じく武具関係の『弓箭図式』『燧袋図式』などとともに、明治24年5月に木村政七*からまとめて購入した記録が残っています。千總においてこれらの本を鑑定の手引きとして収集したとは考えにくく、武家の故実として集めたり、図案の手本として購入したりといった動機が考えられます。

     

     

    [注]

    * 木村政七は京都新京極蛸薬師下ルの書肆。(参考:原田与三松編『売買ひとり案内』明治11年版、清文堂、1878年、国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/803764 (参照 2023-05-23))

     

     

    第1回「千總と近世文化
    第2回「団扇本
    第3回「ちりめん本
    第4回「江戸時代の画譜
    第5回「名所図会

     

     

    (文責 林春名)