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    [コラム]図書紹介2:団扇本 *会員限定*

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    図書紹介第1回「千總と近世文化 」に続き、今回は団扇本(うちわぼん)のご紹介をいたします。残暑の厳しい折、お手元の団扇で扇ぎながら、近代の団扇デザインに触れてみるのはいかがでしょうか。

     

    千總の団扇本

    株式会社千總では多数の図書資料を所蔵していることは前回ご紹介したとおりですが、その中でもまとまった一群を形成しているのがこの団扇本コレクションです。蒸し暑い日本の夏を過ごす上で欠かせない団扇ですが、団扇本はそんな団扇のデザインをまとめたスクラップ帳を指します。

     

    (Fig.1)『東京榛原製団扇見本』

     

    団扇の形をした絵といえば室町時代の水墨画家・雪舟が描いた「団扇形倣古図」が著名ですが、団扇本に集められた団扇絵はずっと時代が下り、幕末から明治時代頃にかけて制作されたものが中心です。団扇本を開くと、実際にうちわとして使われた竹骨の跡が残る絵紙と、団扇形に切り抜く前の状態との二種類の団扇絵が見られます。絵の内容はさまざまで、江戸時代の浮世絵の雰囲気を色濃く受け継ぐものから、商品・商店の広告、画家による絵画作品、彩色写真と、非常に幅広いのが特徴です。

    それでは、千總に遺る17冊の団扇本から、団扇絵を数点ピックアップして見てみましょう。

     

    画家と団扇絵

    団扇は単なる風を送るための道具ではなく、著名な画家の作品を気軽に手元に置いておけるアイテムでもありました。江戸時代には浮世絵師が数多くの団扇絵を手掛けましたが、近代になると画家が見た目にも美しい作品を制作するようになりました。

     

    河鍋暁斎の団扇絵

    (Fig.2)河鍋暁斎筆〈団扇絵〉

     

    まるで見得を切る歌舞伎役者のようにこちらを見つめる鶏を描いたのは、幕末明治の画家・河鍋暁斎(1831~1889)。奇抜な画風で知られる暁斎ですが、この一枚も彼が描き出すエネルギッシュな生命感に満ちています(Fig.1)。この団扇絵が収録された団扇本の表紙には「東京榛原製」の墨書が確認でき、1820(文政3)年の創業から現在まで商いを続ける和紙商・株式会社榛原が制作した団扇絵がこの冊子に貼り込まれていることを示しています(Fig.1)。また別の団扇本には、第五回内国勧業博覧会に関連して制作された同社の団扇広告が残されています(Fig.3)。

     

    (Fig.3)榛原社製ヵ〈団扇絵〉

     

    なお、これらの団扇本や団扇絵の多くは、1886(明治19)年に東京で買い求められたことが『旧目録』(前回参照)より判明します。明確な目的をもって買い求めたのか、あるいは書店でたまたま目に留まったのかは残念ながら不明です。

     

    柴田是真の団扇絵

    (Fig.4)柴田是真筆〈団扇絵〉

     

    (Fig.5)柴田是真筆〈団扇絵〉

     

    千總に遺る団扇本を見てみると、幕末から明治にかけての江戸(東京)・京都で活躍した柴田是真(1807~1891)の作品が多く含まれていることに気付かされます。上に挙げた二点はいずれも是真の筆によるもので、諧謔味のあるモチーフを軽妙に描き出しているところに画家の個性が出ています。

    漆芸家として知られる是真ですが、狂歌集などの版本挿絵も手掛けていました。是真の活動期は、折からのヨーロッパでのジャポニスム全盛期と重なります。団扇は安価な調度品として多数輸出され、浮世絵などとともに西洋の画家たちへ大きな影響を与えたといわれています。クロード・モネの〈ラ・ジャポネーズ〉(外部リンク:ボストン美術館)に代表されるように、団扇は日本的モチーフとして絵画作品にも取り入れられていきました。ただ一方で、国内での団扇の需要も細々と続いていました。団扇本はそうした海外での受容とは異なる側面から、団扇文化の広がりを私たちに伝えてくれています。

     

     

    歴史を映す団扇絵

    商品や商店を世の中に知らしめる手段として、手軽で安価な日用品であった団扇はうってつけの広告媒体です。現在でも、人の多い繁華街で配られる広告としてなじみ深い方も多いでしょう。

     

    (Fig.6)柴田是真筆〈団扇絵〉

     

    こちらもまた柴田是真の手になる団扇絵です。京都四条通柳馬場角で糸物を商った「兒島商鄽」の広告団扇で、見開きで団扇の表裏をなしたと思われます。右頁には糸を繰る女性、左頁には糸巻きを輪のように配した、いかにも洒落たデザインです。

    「八十翁是眞」との落款がありますので、原画が描かれたのは1886(明治19)年頃だと推定できます。1883(明治16)年に出版された洛中の工房や商店をまとめた『都の魁』にも「糸商ノ部」に「四條通柳馬場角 児嶋定七」と掲載されており、同店の広告であったと分かります。

     

    (Fig.7)作者不明〈団扇絵〉

     

    また、こちらの団扇絵には左頁に富士・鶴と「日本銀行」の文字が表されています。そして右頁には東京の日本橋に建つ日本銀行本店の姿が彩色写真で遺されており、左頁とはまた趣の異なった表現となっています。団扇絵には、しばしばこのようなモノクロ写真や彩色写真を絵柄として採用したものが見られます。

    同様の構成(左頁に簡素な絵、右頁に彩色写真)をとる団扇絵は複数確認されており、その内容から本作は日本銀行の広告ではなく、東京の各名所を写したシリーズの中の1枚であると推察されます。

    写真に向かって左側には1896(明治29)年に完成した日本銀行本店本館が写り、その右側の現在南分館のある敷地にはドーム型の屋根が印象的な建物が建っています。さらにその右隣には木造の一石橋があります。明治時代後期の竣工間もない時点での撮影でしょうか、素朴な川舟と白亜の建築物との対比が歴史を映す一枚です。

     

     

    染め・織りと団扇

    (Fig.8)作者不明〈団扇絵〉

     

    絹地を貼り付けた団扇は比較的高価な品として内国勧業博覧会などにも出品された例がありますが、団扇本には紙に印刷または肉筆で絵柄が描かれたもののみが貼り込まれています。しかし、こちらはまるで古布を継ぎ合わせたようなデザインで仕上げられています。右頁には鹿の子絞りと菖蒲文、蜘蛛絞り、そして左頁にはチロルテープを敷き詰めたような絵柄が表され、恐らく表裏ともに染織写しの趣向で作られたのでしょう。左頁は浮き織り文様を横長の筆致を重ねることで表現している点が見どころです。

     

    団扇絵が千總の商品に直接参照された例は未だ確認出来ていませんが、貴重な団扇絵の数々が図案制作のヒントになったのかもしれません。ここに挙げた団扇本以外も含め17冊全ての表紙に、貴重書を示す「貴」のラベルが貼られています。いずれにせよ、数ある図書資料のなかでも珍重すべき資料として社内で扱われたことは間違いありません。

     

     

    [参考文献・URL]

    東京国立文化財研究所美術部(編)『内国勧業博覧会美術品出品目録』東京国立文化財研究所、1996

    宮崎克己「ジャポニスムの開始」『空間のジャポニスム』第2章、『アートの発見』 碧空通信、2011、http://home.c01.itscom.net/a-hakken/KJ02-03-beginning-of-japonisme.html(2022年8月18日最終閲覧)

    石田有年(編)『都の魁』石田戈次郎、1883、https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/803783(2022年8月19日最終閲覧)

     

     

    (文責 林春名)