御装束師の時代

The Onshōzokushi Period

概要Overview

Onshōzokushi was the name given to the suppliers of vestments and cloths used to furnish Buddhist altars. Chikiriya Sōzaemon, the great-grandchild of the founder Chikiriya Yozaemon, was the supplier of several temples, shrines, noble and warrior class families since he inherited the family vestments purveyor business in 1669. The onshōzokushi did not simply produce and sell vestments: he had a profound knowledge of ancient traditions and etiquette, including ceremonial rites, clothing, literature, and cuisine. Thus, he was able to provide the most suitable vestments and furnishings for each occasion. Their role could be compared to that of modern fashion designer combined with and stylist. The Nishimura Family had to achieve a high cultural level to gain the trust of their clients.

所蔵品の紹介

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御用商売鑑札 六条御殿 / 天保8(1837)年御用商売鑑札 六条御殿
札1枚 / 木製 / 天保8(1837)年 / 25.0×20.8 (cm)

六条御殿(東本願寺)の御用を認める鑑札。片面に御法衣の御用である旨を記載し、もう片面には「千切屋惣左衛門」とともに「天保8(1837)年正月改」の日付を記す。本資料に見られるような駒形鑑札の歴史は古く、既に室町時代に朝廷御用をつとめる商人(供御人)にも同様のものが与えられたことが確認されている。コレクションには、他にも六條御殿(東本願寺)に関する古文書などの資料が現存している。

[備考]
出典:『千總四六〇年の歴史 : 京都老舗の文化史』(展覧会図録)(京都文化博物館/千總、2015年)

蹴鞠 萌黄下濃葛袴免状 / 享保3(1718)年正月4日蹴鞠 萌黄下濃葛袴免状
書簡1枚 / 紙本墨書 / 享保3(1718)年正月4日 / 41.0×56.0 (cm)

西村惣(總)左衛門貞恒(5代)に萌黄下濃色の葛袴の着用を認める免状で、蹴鞠の二大流派のひとつ難波家が発したものである。難波家雑掌である棚橋織部および河村伊織によって署判がなされ、西村の店のおそらく秘書的な役割を担っていた小林祐貞なる者に宛てられている。貞恒に宛てた同様の書状は多数遺されており、信頼関係を構築していた様が伺える。御装束師と公家の商売の姿を示す重要な史料である。

[備考]
全文の翻刻は、西山剛「江戸時代の千切屋と地域文化」(『千總文化研究所 年報』創刊号, pp.64-73,2020年)に掲載。
出典:『千總四六〇年の歴史 : 京都老舗の文化史』(展覧会図録)(京都文化博物館/千總、2015年)

乍恐口上書 / 慶應4(1868)年乍恐口上書
書簡1枚 / 紙本墨書 / 慶應4(1868)年

赤穂藩主森家の御用達をつとめていた、西村惣(總)左衛および町内年寄りから、慶應4(1868)年閏4月1日に京都裁判所(京都府の前身)に宛てて提出された願書の控えである。文書では、当時の赤穂藩主森越後守(忠儀)から頻繁に上京する家来衆を止宿させてほしい旨の希望をうけた西村惣(總)左衛門が、京都裁判所にむけて御用宿からの西村家の除外を願い出ている。装束類を誂えるだけでなく、京都における様々な便宜をはかった千切屋の商いの形を窺い知ることができる資料である。

[備考]
全文の翻刻は、小出祐子「2018年度千總文書調査の概要」(『千總文化研究所 年報』創刊号, pp.76-79,2020年)に掲載。

雛形 蓮華唐草文様七條袈裟 / 天保12(1841)年頃雛形 蓮華唐草文様七條袈裟
地紙・まくり1枚 / 紙本著色 / 天保12(1841)年頃

蓮華唐草文様七條袈裟の実物大の紙製雛形である。「金織」の立蓮華に黄や紫、青(花)などの色が施されており、完成した袈裟の華やかさが、下図からも伝わってくる。こうした実物大の雛形の具体的な用途は定かでないが、おそらく文様の配置や柄行を確認するために用いられた可能性がある。墨書には、本資料が「御新門様」の天保12(1841)年の法事のために制作されたこと旨が記されている。同様の雛形は当コレクションに複数現存しており、法衣商・千切屋の活動を示す資料である。

下図 獅子牡丹紋打敷 / 明治32(1899)年下図 獅子牡丹紋打敷
地紙・まくり2枚 / 紙本著色 / 明治32(1899)年 / 各34.3×68.7 (cm)

獅子と牡丹が描かれた、著色の打敷下図。獣王の獅子と花王の牡丹は定番化した豪奢な組み合わせである。一説では、薬草として名高い牡丹を獅子が食すことから、着用(使用)者の守護力を高める意味でも用いられる文様である。裏面の墨書から、本図は、本願寺名古屋別院からの依頼により、本願寺8世蓮如(慧燈大師〔1415-1499〕)の四百年遠忌のために作成された、打敷の下図であることがわかっている。千切屋惣(總)左衛門は、御装束師として、衣服だけでなく打敷のような調度品も誂えていた。その為、コレクションには同様の打敷の図案が多く現存している。

装束雛形 / 天保6(1835)年頃装束雛形
雛形1部 / 紙本墨書 / 天保6(1835)年頃

「御新門様」が着用するものとして調進された袍裳の、手のひらサイズの雛形である。新たに採寸したものか、それ以前のものかは定かでないが、寸法が襟や袖などに書き込まれている。水玉のような黒い丸は綾地の文様を表しているものと思われる。墨書から、天保6(1835)年の法事に向けて作られたことがわかる。こうした雛形の具体的な用途は未だ調査中であるが、製造の初期段階における装束の形状の確認などに用いられたものと推察される。

黄朽葉色八藤遠紋道服 / 弘化4(1847)年黄朽葉色八藤遠紋道服
装束1領 / 絹 / 江戸時代~明治時代(19世紀) / 123.3×92.3 (cm)

東六条八藤紋をあしらった道服である。道服とは、袖幅が広くまた袖丈も長く、腰から下には襞(ひだ)のある装束のことで、様々な色に染められる。東六条八藤紋は東本願寺の紋の一つであり、織られた紋と紋の間が比較的離れている形態、すなわち遠紋であることから、本作が高い地位にある年配の僧に向けた道服であることがわかる。なぜ注文主に納められず千總に残ったかは不明である。近年、東本願寺や関連寺院に「千切屋惣左衛門」の名で納められた法衣の調査を進めている。

[備考]
出典:『千總四六〇年の歴史 : 京都老舗の文化史』(展覧会図録)(京都文化博物館/千總、2015年)

古代有職写 / 文化12(1815)年古代有職写
冊子1冊 / 紙本著色 / 文化12(1815)年 / 28.0×19.5 (cm)

京都を中心に、各地の貴重な文化財にまつわる意匠を模写した画譜。本書の具体的な使用方法は定かでないが、衣装の文様を企画するにあたって古典的意匠を学んだものと思われる。中でも「東寺文書嚢」の模様の模写は特筆すべきものである。東寺所蔵文書は昭和時代以降に各所へ所蔵が移ったことにより、装丁が大きく変更されている。その為、本資料は移動以前の文書のあり方を考える上でも重要なアーカイブとなっている。

[備考]
出典:『千總四六〇年の歴史 : 京都老舗の文化史』(展覧会図録)(京都文化博物館/千總、2015年)

法衣仕様帖
冊子1冊 / 紙本墨書 / 文政13-天保6(1830-35)年 / 24.1×17.0 (cm)

法衣の仕様書。「御本門様」の御用により、文政13年に発注を受け天保6(1835)年に納めたことが記されている。この時期の御本門様とは、東本願寺第20世門主達如(光朗〔1780-1865〕)である。本書には直筆で、道服、刺貫、黒衣等、様々な種類の法衣に関して、生地や寸法、文様の入り方などが図入りで記されている。

[備考]
出典:『千總四六〇年の歴史 : 京都老舗の文化史』(展覧会図録)(京都文化博物館/千總、2015年)

禁裏御束帯具 / 江戸時代禁裏御束帯具
冊子1冊 / 紙本墨書 / 江戸時代 / 26.8×20.8 (cm)

禁中での装束故実を図解と共に記した典籍の、江戸時代の写本である。別名『装束唯心御抄』とも呼ばれる。原本は戦国時代の天文13(1544)年6月に成立している。奥書には、本書が、三位中将・一条房基の要求に従って一条房通が書き加え譲り渡したものであることが記されている。京都の公家を顧客とした、千切屋の御装束師としての活動の一端が本書から伺えるだろう。

[備考]
出典:『千總四六〇年の歴史 : 京都老舗の文化史』(展覧会図録)(京都文化博物館/千總、2015年)

有職織物帖
冊子1冊 / 紙本墨書 / 江戸時代

様々な家紋や織物文様を墨線で写し取った紙を、スクラップブックのように集めた画帖。巻末には千切屋惣(總)左衛門の署名があり、また幾つかの家紋や文様の傍らには、「千惣」の印や墨書が確認できる。年紀は定かでないが、中には天保10(1839)年の御用の為の牡丹唐草の文様が含まれていることから、それ以後のものと推察される。

法衣装束裂張交帖
手鑑 大型本(上)3冊 、小型本(下)2冊 / 紙本 / 昭和56(1981)年編集 / 大型本:75.7×37.8 (cm)

法衣関係の織物の裂を集めて、貼り付けた手鑑帖である。当コレクションには同様の内容で、小型本2冊、大型本3冊、中型本7冊が現存する。大型本に貼られた裂に関しては、昭和53(1978)年から整理を始め、56(1981)年に本として完成したとの記録が残る。墨書や年紀の記された裂も多く含まれており、ごく一部ではあるが法衣商の仕事を把握することができる。中には、「深量院様」(東本願寺21世門主厳如の弟、達智(大谷朗晶 〔1827-1885〕)の為の装束や、宮内省(当時)へ明治26(1893)年に納めた服地、さらに帝国奈良博物館の陳列箱用の裂地などが収録され、多種多様な御用を受けていたことがわかる。

[備考]
出典:『千總四六〇年の歴史 : 京都老舗の文化史』(展覧会図録)(京都文化博物館/千總、2015年)
 

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