お知らせ一覧
去る2024年1月24日、千總本社5階ホールにおいて「真宗大谷派染織品調査報告会・勉強会」を実施いたしました。千總文化研究所では、株式会社千總(以下、千總)の前身である千切屋惣左衛門が東本願寺の御用装束師をつとめていたことから、2018年より真宗大谷派にまつわる染織品の調査を進めています。本会は2023年度に行った真宗大谷派妙誓寺調査のご報告として行ったものです。なお、本報告会では京都府京都文化博物館を中核とした令和5年度文化庁Innovate MUSEUM事業における成果物を使用ししました。報告会の記録動画は会員ページよりご視聴いただけます。 [開催概要]日時:2024年1月24日…
明治期の千總は、刺繍絵画や友禅製品において数々の受賞を重ねましたが、その華々しい功績には多くの画家の協力が不可欠でした。画家との繋がりは、現在株式会社千總(以下、千總)に所蔵される絵画や友禅裂などの美術工芸品だけでなく、文書でも確認することができます。本コラムでは、シリーズで明治・大正時代の決算報告書類に登場する画家を紹介し、試みに当時の千總または京都の美術工芸業界のネットワークを改めて整理することを目指します(決算報告書類についての説明はこちらをご覧ください。)。 第9回は、梅村景山(うめむら けいざん)と芝千秋(しばせんしゅう)です。景山は1880(明治13)年頃、千秋は1892…
[シリーズ:京都のまちの中の三条室町]第3回特別鑑賞会・講演会「千總が伝える地域の記憶」講師:西山剛氏(京都文化博物館 学芸員)日時:2023年12月21日(木) 14:00~15:40会場:千總ビル5階ホール 創業以来460余年、三条室町で暖簾を掲げてきた千總には、この土地や建物、行事など町に関係する資料が遺されています。特別鑑賞会・講演会 シリーズ〈京都のまちの中の三条室町〉では、そうした町の歴史の一端を映し出す資料を通して、千總と地域のいとなみへの理解を深めます。 京都市中京区に位置する御倉町(御倉町)は、平安時代には皇族や公家が邸宅を構え、鎌倉時代以降は一貫して…
京都芸術大学と株式会社千總(以下、千總)は、令和3年度に覚書を締結し、千總の所蔵品に関する調査研究を進めています。3年目となる本年も、昨年度に引き続き、明治から昭和初期に作られた型友禅染の関連資料「絵刷」の調査を行いました。なお、本調査は同学歴史遺産学科正課授業の一環として、専門家の指導のもとに学生が主体となって実施しております。さらに昨年度からは、型友禅のエンドプロダクトの材料研究として、明治~昭和時代初期に千總で作られた友禅裂の染料の自然科学的な分析を開始いたしました。このたび、令和5年度の調査・研究の成果を広く皆様にお知らせするための報告会を開催いたします。本会では、本年度の絵刷調査の実…
本コラムシリーズでは、株式会社千總に遺る版本や図書類をテーマごとにピックアップしてご紹介しています。今回から、染織業にもゆかりの深い「紋」にまつわる書籍を2回に分けてご紹介したいと思います。 皆さんはご自分の家紋をご存知でしょうか。黒留袖や紋付き袴など、和装では重要な意味を持つ家紋ですが、洋服が主流となった昨今は家紋になじむ機会は減る一方です。 家と紋Fig.1 〈江戸風俗図屏風〉 元禄期(1688~1704)頃しかし、京都のにぎわいを描いた洛中洛外図などには、暖簾を掲げた商家が立ち並ぶ様子がみられるものが少なくありません。それらの暖簾を見てみると多くが何らかの文様を表示し…
当研究所は、2021年度より京都芸術大学歴史遺産学科と株式会社千總(以下、千總)との産学連携事業として、同大学の正課授業において絵刷(えずり)の調査を実施しています(本事業と絵刷の詳細はこちら、前期授業の調査はこちらにてご確認いただけます。)。調査には主に同学科の増渕麻理耶先生ゼミ所属の学生が参加し、実際に絵刷に触れながら撮影と調書作成(後期のみ)を実施しています。 撮影の様子 後期授業では、2023年10月から11月に計4回の調査を、翌年2月に千總ギャラリーの見学を実施しました。調査には、前期授業に参加した3回生と大学院1回生に加えて2回生を含む計11名が参加…
明治期の千總は、刺繍絵画や友禅製品において数々の受賞を重ねましたが、その華々しい功績には多くの画家の協力が不可欠でした。画家との繋がりは、現在株式会社千總(以下、千總)に所蔵される絵画や友禅裂などの美術工芸品だけでなく、文書でも確認することができます。本コラムでは、シリーズで明治・大正時代の決算報告書類に登場する画家を紹介し、試みに当時の千總または京都の美術工芸業界のネットワークを改めて整理することを目指します(決算報告書類についての説明はこちらをご覧ください。)。 第8回は、谷口香嶠(たにぐちこうきょう)と竹内栖鳳(たけうちせいほう)です。両名はいずれも、楳嶺四天王と称される、京都…
本コラムシリーズでは、株式会社千總に遺る版本や図書類をテーマごとにピックアップしてご紹介しています。9回目の今回は、女子用往来を取り上げます。 往来、とは書物の種類としては聞きなれない言葉ですが、現代でいう教科書に近い書物を近世には往来物(おうらいもの)と呼びました。この呼び名の由来は往信来信、すなわち手紙です。そもそも往来物が、中世の貴族の子弟を教育するための往復書簡の形から展開を広げたことによるもので、『庭訓往来』などがその代表的なものです。往来物は近世には寺子屋でテキストとして使われ、手紙以外にも文字の読み書き、社会、地理などさまざまな分野に関する知識を取り上げたものが出版され…
現代の私たちは、細かな言い伝えに則って着る服を選ぶようなことは、あまりありません。しかし、宮中では古来、性別や地位、年齢、季節などの条件によって装束や作法が細かく規定されていました。場面ごとの服装のコーディネートは口伝や故実(先例)として蓄積され、複雑化していきました。そこで、そうした故実に精通した専門家が求められるようになり、彼ら「有職者」によって儀式次第や場にふさわしい服装がまとめられた「有職故実書」が編纂されるようになりました。株式会社千總(以下、千總)に遺る版本のうちいくつかは、そのような有職者(有職故実家)がまとめた装束に関する書物です。図書紹介シリーズ8回目の今回は、これら有職装束…
明治期の千總は、刺繍絵画や友禅製品において数々の受賞を重ねましたが、その華々しい功績には多くの画家の協力が不可欠でした。画家との繋がりは、現在株式会社千總(以下、千總)に所蔵される絵画や友禅裂などの美術工芸品だけでなく、文書でも確認することができます。本コラムでは、シリーズで明治・大正時代の決算報告書類に登場する画家を紹介し、試みに当時の千總または京都の美術工芸業界のネットワークを改めて整理することを目指します(決算報告書類についての説明はこちらをご覧ください。)。 第7回は、久保田米僊(くぼたべいせん)です。米僊は、日本画家としてキャリアを始めながらも、記者、文筆家など、多彩な顔を…