コラム

千總と近代画家1:岸竹堂*会員限定*

明治期の千總は、刺繍絵画や友禅製品において数々の受賞を重ねましたが、その華々しい功績には多くの画家の協力が不可欠でした。そして、両者の繋がりは、千總に所蔵される絵画や友禅裂などの美術工芸品だけでなく、文書でも確認することができます。そこで本コラムではシリーズで、千總所蔵の文書のひとつである近代の決算報告書類に登場する画家を紹介します。 千總に現存する近代の決算報告書類は、1876年(明治9)から1879年(明治12)並びに1881年(明治14)から1922年(大正11)までの間、概ね毎年上(前)半期・下(後)半期に分けて作成されたもので、各報告書類の記載項目と名称(「勘定」、「精算表…

資料紹介:三国幽眠書簡 *会員限定*

明治5(1872)年に、西村總左衛門家の12代当主となるべく迎えられたのが、三国直篤(みくになおあつ、1855~1935)でした。直篤は、越前出身の儒学者・三国幽眠(みくにゆうみん、1810~1896)の三男です。幽眠は、天保3(1832)年に上洛し、天保8年以降は鷹司家の儒官を務めるなど、活動の拠点は京都にありました。 これまで、西村家に入った後の直篤(12代西村)は、家族行事において幽眠と交流を持っていたことが、千總に現存する詩画軸などで確認することができていました。ところが、このほど調査を進めている幽眠の書簡によると、家族行事だけではなく12代西村の呉服商売においても、関わりが…

意匠倶楽部との関わり

明治期の京都において、工芸品製作は「図案」と「意匠」のもとに成立するとの考えがあったとも言われていました。千總は図案だけでなく、意匠の発展にもかかわった記録があり、またその交流の一端が刺繍絵画において確認できます。  Fig.1 図案:波図  Fig.2 友禅裂:波図  現在、千總ギャラリーでは、明治大正期に制作された友禅裂が、時系列に沿って展示されています。 こうした友禅裂や製品の制作にあたって行われていたのが、図案の作成(Fig.1、Fig.2)でした。図案とは、染織品や陶磁器などの工芸品のデザインや模様などを予め図に表現したものを指します。千總には肉筆の図案集が複数冊…

作品紹介 天鵞絨友禅〈茶運び婦人〉*会員限定*

明治時代以降、千總は三越との商売を盛んに行ってきました。千總ギャラリーでは8月末から型友禅を中心に両者の関係を示す作品の展示を予定しています。それに合わせて、今回は関連する作品を紹介します。 天鵞絨友禅〈茶運び婦人〉天鵞絨友禅 1額 縦96.6cm×横63.3cm×厚み2.0cm(額縁含む)明治41(1908)年頃 千總蔵内容については、「会員ページ」でご紹介しています。 

技術紹介:型友禅の型彫刻

友禅染めには大きく分けると手描き友禅と型友禅があります。型友禅は模様を彫り出した型紙を生地にあてて、型紙の上から刷毛で染料を擦り込んだり、染料を混ぜた写糊をヘラで塗布することで模様の染色をします。染め上がった時の模様の形や色彩表現を大きく左右するのが型紙の彫刻です。 手描き友禅と同様に、まずは図案の製作から始まります。 一つの模様に使用される型紙の枚数は、主に模様の複雑さ、色数によって決まります。この「孔雀百花模様」では64枚の型紙が用いられました。着色図案をもとに、企画担当者、型彫刻の職人と染色工房がどのような型を彫刻し、模様を表現するかを検討します。例えば、牡丹のやわら…

作品紹介:『桜花真冩』*会員限定*

3月末以降、桜前線は日本列島を北上し、現在は北海道の五稜郭などで桜が見ごろを迎えています。桜前線はソメイヨシノの開花予想を伝えるものですが、日本にはソメイヨシノ以外にも100種以上の桜が存在しています。今回ご紹介するのは、そうした桜の絵を収録した画帖『桜花真冩』です。 内容については、「会員ページ」でご紹介しています。