[コラム]図書紹介8:有職故実書 *会員限定*

現代の私たちは、細かな言い伝えに則って着る服を選ぶようなことは、あまりありません。しかし、宮中では古来、性別や地位、年齢、季節などの条件によって装束や作法が細かく規定されていました。場面ごとの服装のコーディネートは口伝や故実(先例)として蓄積され、複雑化していきました。そこで、そうした故実に精通した専門家が求められるようになり、彼ら「有職者」によって儀式次第や場にふさわしい服装がまとめられた「有職故実書」が編纂されるようになりました。

株式会社千總(以下、千總)に遺る版本のうちいくつかは、そのような有職者(有職故実家)がまとめた装束に関する書物です。図書紹介シリーズ8回目の今回は、これら有職装束に関する書物をご紹介します。

 

中世の有職

 

(Fig.1,2)『禁裏御束帯具』1冊、原本1544(天文13)年

千總に所蔵される代表的な有職故実書としては、本ホームぺージ「御装束師の時代」などでご紹介してきた『禁裏御束帯具』があります。こちらは写本ですが、元来有職故実に関する知識は、こうした筆写により限られた人々の間で共有されるものでした。本書は奥書から、極秘重宝とされていたものを三位中将房基卿の願いにより一条房通が書写した本を、さらに写したものと考えられます。

 

(Fig.3)同前 装束更衣之事

現代の日本人の生活にも取り入れられている衣替えの文化は、元は宮中の慣習でした。「装束更衣之事」(Fig.3)には4月1日に夏物へ、10月1日に冬ものへ衣替えを行うことが記されています。ただし、詔により衣替えが延期になることもあったようで、装いには季節が何よりもよく重視されていたことが窺えます。内容は実用本位で簡素にまとめられており、後世の有職故実書と比較すると明快ささえ感じられます。

 

近世の有職故実研究

 

(Fig.4,5)『装束要領鈔』3冊、壺井義知・徳田良方著、初版1742(寛保2)年、後刷

近世には、公家以外の人々へも有職故実の知識がもたらされました。『装束要領鈔』は『和名類聚抄』『女官飾抄』『装束抄』などの過去の文献を引きつつ、当時の公家社会に引き継がれた有職故実を紐解いた書です。本文上段には用語解説のコラムが設けられるほか、本文には傍注に語注や典拠となった文献名が記されるなど、基礎的な事項を網羅した解説書といった体裁です。

著者である壺井義知(1657~1735)は日本有職故実学の祖とされ、彼の著書は近世における有職故実研究の基礎として後世にも省みられています。彼が公家有職の知識を授けたひとりに、松岡辰方がいました。

 

(Fig.6)『装束織文図会』2冊、松岡辰方著、本間百里補、1824(文政7)年

松岡辰方(ときかた、1764~1840)は筑後国久留米藩士、すなわち武士の身分でしたが、有職故実に精通し、特に有職文様に関する著作を多く遺しました。公家装束の様々な織文様や地色が多色刷りの図版によってわかりやすく示されています。墨の輪郭線は用いず、単色の織地による文様は空刷りによって表現されています。

 

(Fig.7)同前 空刷り

 

本書は松岡辰方の弟子で一関藩の武士・本間百里(1784~1854)が師の本を増補し出版したものです。その資料としての有用さと情報の希少性から、繰り返し復刻されました。そのうちのひとつが当コラムシリーズ第1回でご紹介しました『故実叢書織文図会』です。

 

そして本間百里もまた衣紋方や有職故実家として活躍し、『服色図解』など多数の図解書を著しました。

(Fig.8,9)『服色図解』2冊、本間百里、1816(文化13)年 冬・夏狩衣

『服色図解』は空刷りによる文様表現など『装束職文図会』の技法を踏襲しつつも、装束の形式、着用事例などの情報を付加し、より多要素へ発展させています。

 

壺井義知・松岡辰方・本間百里という、近世有職故実研究の系譜が、千總の蔵書には確かに残されているのです。

 

有職故実の裾野

 

(Fig.10,11)『歴世女装考』4冊、山東京山(岩瀬百樹)著、1847(弘化4)年、後刷ヵ

ところで、巷の女性たちはどのような装いをしていたのでしょうか?有職故実からは少し外れますが、そのような問いへの答えとなるのがこの『歴世女装考』です。

本書は「巷間故実」とでもいうべきもので、市井の女性の装いが過去の文献や絵画作品から考証されています。引用文献は『源氏物語』や『和名類聚抄』、『古事記伝』などで、『山東京山年譜稿』によると300種あまりにものぼるということです*1。かもじ、おしろい、簪など女性の装いを構成する様々なことがらについて過去の例を集めて掲載しており、有職故実研究の手法を巷の服飾に当てはめた、地道な仕事の集大成です。

 

(Fig.12)『旧儀装飾十六式図譜』1903(明治36)年、京都美術協会編、古谷紅麟画 官服飾

作法に則り、季節に合わせた宮中の装いは、それ自体が美的鑑賞の対象にもなります。明治36年に出版された本書は、京都・岡崎で開催された古美術品展覧会において展示された、席飾りの図録です。この展覧会は同年に大阪で開催された第5回内国勧業博覧会に関連したもので、有職故実書に記された様々な儀式や部屋飾りを実際の宝物をもって再現するという試みがなされました。「官服飾」の展示では、衣桁に様々な装束がかけられていますが、これらは九条侯爵家の蔵品であったそうです*2。

部屋の内装を整えることを現在では「しつらえ」といいますが、しつらえ(しつらい)は漢字で「室礼」と書くことから分かるように、調度品で飾り整えることで客や儀式の参列者への礼儀を示すことを指します。現在でも正月飾りや節句飾りにその名残が見られます。

 

 

故きを温ねずばいかでか新しきを知らるべき。

明治という激動期に出版された『旧儀装飾十六式図譜』の巻頭のことばですが、目まぐるしく変わる時代にこそ、歴史を顧みるひとときが必要なのかもしれません。

有職故実というと、どこか遠い世界のように感じられますが、季節をたのしみ、共に過ごす相手に礼儀を示すなど、根底にあるのは誰にも共通する心なのではないでしょうか。

 

 

[注]

*1津田眞弓『山東京山年譜稿』ぺりかん社、2004年。

*2猪熊浅麿『旧儀装飾十六式図譜解説書』京都美術協会、1903年。

 

第1回「千總と近世文化

第2回「団扇本

第3回「ちりめん本

第4回「江戸時代の画譜

第5回「名所図会

第6回「武具図解本・目利本

第7回「小袖雛形本

 

(文責 林春名)