“友禅軸”の保存修理が始まりました
「千總の友禅」が始まったのは幕末と言われています。
明治時代以降その製造は本格化。合成染料や型友禅染(手捺染)といった、材料や技術の革新を重ねて販路が拡大され、やがて友禅製品は現代に至る千總の主力商品となりました。1893(明治26)年に、12代当主・西村總左衛門が緑綬褒章を授与された際の文辞には、「夙に意を家業に励まし世に千総(ママ)友禅の名称を馳せ販売益広まり(略)」とあり、当時から「千總友禅」と認識されていたことがわかります。
こうした千總友禅の発展の軌跡を示すのが、友禅見本裂の資料群、通称「友禅軸」です。
友禅軸とは、1873(明治6)年以降に千總で製作された友禅見本裂を1~4枚をまとめて軸装した資料で、1873年から1945(昭和20)年までに製作されたものでも約300本が現存しています。
(主な友禅軸はこちらからご覧いただけます)。
これら友禅軸の、現在確認できる最も早い展示例が、1921(大正10)年10月17日に知恩院で実施された友禅斎謝恩建碑式です。
友禅斎謝恩建碑式は、宮崎友禅斎の事績顕彰を目的とした団体「友禅史会」により、知恩院における「友禅斎謝恩の碑」落成を記念して実施されました。同式に設けられた参考品展示会で、千總は「友禅掛軸」約40幅を出品します。友禅掛軸は、1878(明治11)年を除く、1873年から1923(大正12)年の間で各年1本選定されていることから、おそらく千總友禅の発展過程を示す意図があったのかもしれません。
そして、その友禅掛軸を含む資料群が、現存する友禅軸です。
したがって、友禅軸は近代京都における友禅技術の発展の歴史の一端を示し、また大正期における友禅の発展に対する千總の見解を示唆する意味において、興味深い資料群であると言えるでしょう。
当時の画像を確認する限り、友禅軸は遅くとも1921年には現在の形式に仕立てられたことが推測されます。しかしながら、現存する明治から大正時代の友禅軸は、軸木に埋め込まれた鉛製の錘が破裂していたり、八双下の表具裂が裂けていたりといった様々な症状により友禅裂が汚損・変形され、展示の難しい状態にありました。特に、鉛製錘の破裂の主な原因は酸化です。そのため、保管しているだけで劣化・損傷が進行していたことから、一刻も早い状態の改善が求められていました。
損傷事例:軸木に埋め込まれた鉛製錘の破裂による、友禅裂の汚損、表具裂の裂けなど
そこで本年度、ポーラ伝統文化振興財団の助成を受けて、友禅軸の修理を行うことになりました。
修理では、鉛製錘の破裂・膨張またはその兆候がみられる60幅を対象としています。現在と先述の展示会の表具形式がほぼ同じであることや友禅軸全体で概ね統一されている装丁を鑑みて、表具全体を新しく取り換えずに、現状の資料や表具の雰囲気の保存を第一とした上で、軸木の交換、裂けなどの損傷の補修などといった部分的な修理を行うこととしました。
そして最終的には、本修理を通して現在ある友禅裂の姿を保存し、近代の友禅品そしてその友禅技術を後世に伝えることを目指します。
修理は本年9月から開始されており、来年の3月頃に完了する予定です。また10月には京都市立芸術大学 大学院美術研究科保存修復専攻所属の学生さんが、装こう修理の授業の一環で修理現場の見学に来られました。掛軸の軸木に埋め込まれた鉛製錘の破裂事例は、国内外で見られ、装こう修理の分野では広く認知された症状です。学生の皆さんは、修理技術者の方の手際のよい作業や使い込まれた道具を熱心に観察して、様々な質問をしていました。本見学が、近代資料の修理や当時の表具文化について触れる機会となっていましたら幸いです。
修理した友禅軸は2025年7月19日(土)~9月15日(月・祝)に京都国立近代美術館にて開催される「きもののヒミツ 友禅のうまれるところ」展などで、展示する予定です。
修理した友禅軸そして千總友禅の近代の発展の様相を、皆様にもご高覧賜れましたら幸いです。
※巡回先:静岡市美術館 2025年10月25日(土)~ 2025年12月21日(日)他
(文責 小田)