資料紹介:三国幽眠書簡
明治5(1872)年に、西村總左衛門家の12代当主となるべく迎えられたのが、三国直篤(みくになおあつ、1855~1935)でした。直篤は、越前出身の儒学者・三国幽眠(みくにゆうみん、1810~1896)の三男です。幽眠は、天保3(1832)年に上洛し、天保8年以降は鷹司家の儒官を務めるなど、活動の拠点は京都にありました。
これまで、西村家に入った後の直篤(12代西村)は、家族行事において幽眠と交流を持っていたことが、千總に現存する詩画軸などで確認することができていました。ところが、それだけではなく12代西村の呉服商売においても、関わりがあったことが、今回ご紹介する書簡から明らかとなりました。
幽眠書簡 竹陰(12代西村總左衛門)宛 1通
紙本墨書 縦15.6 cm 横 35.7 cm
明治時代(19~20世紀)
幽眠から12代西村に宛てて、羽織の内側(羽裏、はうら)の文様に関する要望が記された、簡易的な書簡です。幽眠は、羽裏の文様に一笑図をあしらってほしいと伝え、一笑図の簡易的な図を描き添えています。その際に一笑図の竹と犬の数は、12代西村に任せる旨を伝えているようです。
ちなみに、竹陰とは12代西村の字(あざな)です。岸竹堂にも絵の手ほどきを受けていた12代西村は、いくつかの絵画作品を千總に遺しており、そうした作品や先ほどの詩画軸などには「竹陰」の落款を記していることが知られています。
Fig.2 拡大図:2本の竹と1匹の犬が描き添えられています
一笑図とは、竹の下に犬を描いたものです。これは、漢字の「竹」の下に「犬」(厳密には「夭」ですが。)を置くと「笑」の漢字になることから、縁起の良い文様として親しまれてきました。長澤蘆雪の一笑図などは、皆さん一度はご覧になったことがあるのではないでしょうか。
また、幽眠は自身の書に「一笑」の印章を捺することもあったために、単なる吉祥図に留まらず、思い入れのある図様であったと推測されます。
本文には、竹の本数や犬の数について、何本でも何匹でも良いと12代西村に任せています。おそらく、本書簡を受けて12代西村は、図案家に指示して羽裏の図案を作成し、友禅で染めるのではないかと考えられます。この時に制作した羽織や友禅裂、図案などは、残念ながら千總には現存していません。また羽織の発注の経緯を示すような書簡や書類なども未だ見つかっておりません。
しかし、幽眠が、呉服の調整という12代西村の商売とも関係していたことが、本書簡により明らかにされました。
12代西村に宛てた書簡は、現在わかっているだけでも24通遺されています。書簡を通した交流を知ることで、12代西村と幽眠の具体的な関係性や互いへの影響について、更に明らかにされる可能性があります。今後も理解を深めていけるよう、引き続き解読を進めて参ります。
[翻刻]
舌代
羽織のうらの画は
一笑の図に下成候様
頼入候 御存知之通
一笑の図は
竹に狗の図にて
犬は一疋でも
弐疋でも
竹も
なん本でも
画候
竹陰殿 幽翁
本稿に関する調査研究は公益財団法人髙梨学術奨励基金から助成を受けて実施されました