[コラム]染織品紹介1:江戸時代初期の色彩 *会員限定*
株式会社千總ホールディングス(以下、千總)には、近世・近代絵画のコレクションのほか、近代に友禅染制作の参考のために集められた版本類や、裂(きれ)、小袖などがあります。裂とは布地の断片を指し、千總には江戸時代初期から末に至るまでの小袖裂が380件近く遺されています。本コラムシリーズでは各回ごとにテーマを設けて染織品やその周辺資料を取り上げ、染織品の魅力を探っていきたいと思います。
初回のテーマは「江戸時代初期の色彩」。絵画的でカラフルな染めを可能にした友禅染技法が完成する以前、当時の人々はどのような色を身にまとって過ごしていたのでしょうか。江戸時代初期のよく知られる小袖の模様様式として、「慶長小袖」*と呼ばれるものがあります(Fig.1)。この「慶長小袖」の裂から、小袖文化が花開く江戸時代初期の色彩を見てみましょう。
Fig.1 慶長文様(短冊に鶴) 小袖裂 江戸時代初期
Fig.2 慶長文様(短冊) 小袖裂 江戸時代初期
かざりの金
Fig.1,2の慶長文様 小袖裂の色に注目してみると、白と黒の対比がまず目に飛び込んできます。そこから細部に目をやると、刺繍に使われた白、紅、浅葱、薄萌黄、撚金(よりきん)などが見えてくるでしょう。
さて、黒色の部分に霞のような筋が入っているのがお分かりいただけるでしょうか。実はこれは金箔です。摺箔といい、布地に金箔を摺り貼ることで金色の文様を付けることができます。江戸時代初期、摺箔と刺繍は二つ合わせて「縫箔」と呼ばれ、華やかで豪華な見た目が特徴で裕福な女性たちの間で人気を博しました。これほどふんだんに金が使われた衣服を着るにはもちろん経済力が必要ですが、江戸時代初期には富を蓄えた町人の間でも縫箔の小袖は着られていたようです。「金」という色が、衣服をかざるひとつの色彩として身近な選択肢にあったことを思わせます。
土台の黒紅
金の地となっている黒のような色も、ただの黒とは一味違います。
日本古来の黒と言えば、烏の濡羽やヒオウギの実(ぬばたま)のような艶と深みのある黒が女性の黒髪の理想的な色とされており、和歌にも詠まれました。しかし、ひとたびその黒を布地に染めようと思えば、自然の原料から色を得ていた当時は深みのある漆黒を表現するのは容易ではありませんでした。平安時代には墨を生地に付着させることによる墨染が行われましたが、やや灰色がかってしまいます。室町時代頃に五倍子(ふし)などのタンニンと鉄の反応を利用した染めが行われるようになります。また、お歯黒にも使われるこの鉄漿によって、深く暗い黒の表現が可能となりました。
Fig.3 慶長文様(桜菊松・疋田石畳・麻の葉) 小袖裂 江戸時代初期
しかし、「慶長小袖」に使われた黒は暖かな色のニュアンスをもっています。Fig.3の裂でも、暗めの焦げ茶色に見えます。この色は「黒紅」と呼ばれ、あらかじめ紅で下染めした上に、檳榔子(ヤシ科の常緑喬木からとった植物染料)の黒をかけた焦げ茶色がかった色で、この時代に流行した色でもありました。地の染め分けが紅の部分と黒紅の部分に分かれているのも、重ね染めで解決できるので合理的です。暗く、地味な色でありながら、他の色を引き立てて金の輝きを下支えするなど、時代の気風を表した色といえるでしょう。
彩りの赤
Fig.4 慶長文様(木立に桜) 小袖裂 江戸時代初期
赤色は古来、アカネやベニバナなどで染められていました。特に紅色は小袖の表地のみならず裏地に多く使われ、小袖を纏う女性たちに欠かせない色でもありました。ウコンで黄色を入れてから紅染め何度も繰り返すことで、黄色味を帯びた鮮やかな紅色が得られました。しかし、その色はベニバナの花びらにわずか1パーセントしか含まれないほど希少であり、紅色の小袖は誂えるのに大変高価であったと考えられます。
白生地に黒紅、紅だけではカラーバリエーションとして物足りないと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、Fig.4にもう1色が登場しているのが見えるでしょうか。
画像右下の青色です。退色していますが、鹿の子絞りを施して藍で浸け染めにしています。本作ではまだほんの一部の登場ですが、寛文期(1661-1673)に流行した小袖などには、藍染めが旺盛に使われており、模様の表し方だけでなく色彩の面でも「慶長小袖」からの流行りの移り変わりを感じさせます。次回は寛文期以降の小袖や裂を見てみましょう。
註
*今日まで慶長小袖と呼ばれてきた幾何学的な区画構成に刺繍で細かな装飾を加えた小袖模様は、実際の流行期は慶長期より降ると考えられている。そのため本稿ではカギカッコを付け「慶長小袖」と表記した。
主要参考文献・URL
前田雨城『日本古代の色彩と染』河出書房新社、1975年。
板倉寿郎ほか監修『原色染織大辞典』株式会社淡交社、1977年。
河上繁樹『江戸時代の小袖に関する復元的研究』関西学院大学アート・インスティチュート、2006年。
伊勢半紅 https://www.isehan-beni.co.jp/beni/ (2025/05/30最終閲覧)
(文責:林春名)