真宗大谷派 妙誓寺所蔵 染織資料調査
江戸後期から明治頃にかけての千切屋總左衛門(千總の前身)が真宗大谷派の御用を請けていたことから、千總文化研究所では2019年度より真宗大谷派染織品資料調査を行っています。その一環として、2023年度は6月から8月にかけて、真宗大谷派妙誓寺に所蔵されている法衣装束等の染織資料の調査を行わせていただきました。
妙誓寺 外観
調査資料は31点あり、このうち袈裟類は22点、着物が1点、帯が2点、袴が2点、その他が4点でした。
調査風景
妙誓寺資料の特徴は、紋が縦横に整列する「居並び」の文様形式の袈裟が占める割合が高いことにあります。居並びの文様は現在の真宗大谷派では使われていませんが、それは明治24年に門首(当時は法主)であった現如上人が明治天皇より菊紋居並びの袈裟を賜ったことにより、以来居並び紋の使用が憚られたためです。それ以前には門首や連枝といった、位の高い人物のみが着用を許されました。
居並び紋の袈裟が多く遺されているということは、すなわち門首かそれに近しい人物との関係が深かったということだと考えられます。
これらの資料は大谷勝尊(東本願寺22世厳如上人第3子)の息子で姫路船場別院本徳寺前住の叔父にあたる人物の旧蔵であり、妙誓寺に引き継がれました。別院とは各地におかれた本山に準じて造られた寺院を指し、真宗大谷派ではその住職は門首または連枝がつとめることになっています。すなわち、別院に遺る法衣装束には、門首との血縁を伝って遺された門首の所用品が含まれている可能性が高いということです。
〈紫平織地 檜垣に抱牡丹文様 金襴五条袈裟〉妙誓寺所蔵
過去の調査において畳紙に「亀印」との墨書のある居並び紋の袈裟が確認されていますが、今回の調査により本徳寺17代住職・厳継(幼名亀丸)がこの亀印に当たる人物である可能性が出てきました。厳継の母は厳如上人の娘であり、これらの資料は門首を中心とした血縁関係のなかで、下賜品や御遺物として各地の真宗大谷派寺院に渡ったもののひとつなのだということが分かります。
その他、調査により判明した近世・近代の法衣に関する事項については、今冬開催予定の調査報告会にてご報告させていただく予定です。
[註]
*過去の真宗大谷派染織品調査については『千總文化研究所 年報』第3号(千總文化研究所編、2022年)を参照のこと。
(文責 林春名)