東本願寺における法主衣体および法服に関する研究
嵯峨本願寺は京都・嵯峨に位置する寺院で、東本願寺法主で旧華族・大谷伯爵家の蔵品を今に伝えています。なかでも染織品は近世後期以降の大谷家歴代が着用された多数の法衣装束からなり、これまで明らかにされることのなかった東本願寺における法主衣体および法服*1の実態を探るに欠かせない資料です。
当研究所では2024年4月より嵯峨本願寺に所蔵される染織品の調査を行っています。株式会社千總ホールディングスの前身である法衣商・千切屋惣左衛門が、近世後期から近代にかけて大谷家の御用を行ったことが分かっています*2が、実際の製品や制作規模など不明な点が多く残されています。今回の調査において、千切屋惣左衛門が御用として制作した法衣装束が多数確認され、こうした史実を実証することが可能となりました。2024年9月末現在で染織品168点の調査を完了しています。
「光養麿様御得度御用御三ツ緒(三緒袈裟雛形)」 1884(明治17)年
千總には大谷家の御用にかかる五条袈裟の雛形が40点余り所蔵されています。雛形は原寸大に近い大きさで、外寸や紋の配置などが本物に忠実に作られます。嵯峨本願寺では、これらの雛形のうち12点から制作されたとみられる五条袈裟や三緒袈裟16点が確認されました。雛形や袈裟の畳紙には制作年や着用者の名が記されることがあり、これらの情報を総合することで、近世後期から近代の東本願寺における法主の衣体がどのようなものであったのかを探ることが可能になります。
法主の衣体の変化には宗内における文化や慣習のみならず、公家、他宗、社会情勢などさまざまな要因が影響していると考えられます。その内容を解き明かすべく、今後も調査を継続してまいりたいと思います。
なお、これらの調査成果は、2025年3月に開催の調査報告会・研究会においてご報告予定です。
[註]
*1 衣体は衣、袈裟および袴の総称。法服は法裳を指す。
*2 当研究所ホームページ「御装束師の時代」参照。
(文責:林春名)