同志社大学美学及芸術学科の課外授業

同志社大学美学及芸術学科の課外授業「美学芸術学実地演習II」として、講演を行いました。

同学科の2回生20名が参加されました。

「千總のものづくり −パトロネージュとイノベーションの歴史−」という演題をいただき、千總が460余年の歴史の中で、どのようにものづくりを続けてきたのか、歴史的背景と地域社会、学問分野や産業界との繋がりを交えて作品写真と共にご紹介しました。また会場には、明治時代と昭和時代に千總が手がけた染織品を展示しました。

 

 

千總は、室町時代に僧侶の装束である法衣や寺院を荘厳する打敷などを納める法衣商として、京都で商いをはじめました。

詳細は調査段階ではありますが、六条御殿と呼ばれた現在の東本願寺の御用商人を務め、真宗大谷派寺院の装束を多く手がけていたことが明らかとなっています。公家との結びつきの強く、宮中の文化が色濃く反映された東本願寺の装束を納めるためには、公家の衣食住全般にわたる知識や教養、規範である有職故実の習得が欠かせませんでした。

千總の5代当主西村惣左衛門は蹴鞠の家元である難波家、飛鳥井家の両家に入門し、さらに和歌を嗜んでいたことが残された史料から明らかとなっています。宮中の文化芸術を学び商いに活かそうとする姿が窺い知れます。

 

明治時代になると、法衣の商いも継続しながら、友禅染や刺繍の技術を駆使した染織品を手掛けるようになります。さらに、染織品の模様を刷新するために当時の日本画家に下絵を依頼します。

東京遷都によってパトロンの多くを失っていた京都の日本画家に仕事を依頼することで、新しい時代に相応しい染織品を生み出したのです。壁掛けや衝立という室内装飾品に伝統的な染織技術を駆使して画家の下絵を再現し、美術染織品として国内外の博覧会に出品し、高い評価を得ます。千總がパトロネージュとイノベーションという形で、美術界との繋がりを深めた時代でした。

 

会場展示風景(岸竹堂、榊原紫峰が下絵を手がけたと伝わる友禅染の見本裂)

 

明治時代後半から昭和時代にかけては、百貨店の興隆とともに友禅染の着物も商いの中心となっていきますが、社会情勢が不安定になれば、多くの文化芸術が失われ、技術も継承できなくなります。

第二次世界大戦中は、技術も保存のための研究所を設立してものづくりを続けました。

 

会場展示風景(右:第二次世界大戦中に製作された国旗の下図、中:戦後第1号の友禅染の見本裂、左:第二次世界大戦中に国威発揚のために製作された「宮城を拝して」と題する型友禅染の作品(下絵を日本画家竹内栖鳳が手がけたと伝わる))

幸いにも千總は戦後も技術を繋ぎ、現在も様々な業界やアーティストとの協業を行いながら、伝統的技術による染織品をつくり続けています。

学生からは、「法衣を納めていた寺院は宗派が限られていたのか」「技術を残すために、昔はどのように記録をしていたのか」など、熱心な質問が寄せられました。

文化芸術もそれらを生み出す技術も、社会との関わりの中で育まれ、受け継がれていきます。

先が見通せない、変化が激しい昨今の世の中ですが、大学で学ばれる美術の世界が実社会とどのように繋がっているのか、社会人になられた時にご自身が文化芸術とどのように関わり向き合っていきたいのか、今回の講演が学生の皆さんにとって何か考えるきっかけとなることを願います。
 
文責:加藤結理子