作品紹介 天鵞絨友禅〈茶運び婦人〉

明治時代以降、千總は三越との商売を盛んに行ってきました。千總ギャラリーでは8月末から型友禅を中心に両者の関係を示す作品の展示を予定しています。それに合わせて、今回は関連する作品を紹介します。

 

天鵞絨友禅〈茶運び婦人〉

天鵞絨友禅 1額 縦96.6cm×横63.3cm×厚み2.0cm(額縁含む)

明治41(1908)年頃 千總蔵

天目台に載せて湯呑を運ぶ振袖姿の女性。振袖には大柄の花文様がちりばめられ、赤色地の菊文様の帯が結ばれています。髪は蝶と花の簪で飾り、左手の薬指にはパールまたは宝石のついた指輪(Fig.1,Fig.2)。女性は少しはにかんだような、微妙な表情が丁寧に表現されています。振袖に部分的に表された縞模様や、帯の格子状に見える菊の茎、振袖に指輪と、女性の装いからある種の“ハイカラさ”が感じ取ることができるでしょうか。お茶を運んできてもらうのに少し気が引けるような、華やかな姿です。

Fig.1 振袖と帯の文様
Fig.1 振袖と帯の文様
Fig.2 湯呑と指輪
Fig.2 湯呑と指輪

画面の左下には「Formosa Tea」と染め付けられており、本作が台湾のお茶に関係することがわかります。本作は、全体的に色の黄変や退色が著しく、残念ながら制作時の色を知ることは困難ですが、おそらく全体は染料による染めであると推測されます。他方で半襟の竹の葉文様の緑色と、振袖や帯の花文様を縁取る水色の部分には顔料使用の可能性があります(Fig.3、Fig.4)。

Fig.3 半襟の竹文様
Fig.3 半襟の竹文様
Fig.4 拡大写真:半襟の竹文様
Fig.4 拡大写真:半襟の竹文様

 

天鵞絨友禅とは

 さて、本作のような染織品は、天鵞絨(ビロード)友禅と呼ばれています。天鵞絨とはベルベットを意味し、天鵞絨友禅とは、染色していない白地の天鵞絨に友禅の技法を用いて染色し、糸のパイル(輪奈)を切る又は切らないことで陰影や質感を再現しながら、模様を表す技法です。拡大写真で比較すると、向かって左側がパイルを切っていない状態で、右側がパイルを切って起毛させている状態です(Fig.5)。その上で本作の女性の頭部を観察すると、顔や髪の毛はパイルを切っていませんが、髪飾りはパイルを切って起毛させています(Fig.6)。ぴしりと整えられた艶やかな髪と、布や組紐など様々な素材で作られた髪飾りとの間に、質感の差があると思いませんか?天鵞絨友禅は、こうした微妙な質感の差を複雑に組み合わせることにより、絵画と写真の狭間に位置するような、独特の立体感と上品さの表現を可能にしたのです。この特徴を活かして、明治・大正期には風景画を表した天鵞絨友禅が数多く作られました。

Fig.5 拡大写真:パイル・パイルが切られた部分
Fig.5 拡大写真:パイル・パイルが切られた部分
Fig.6 女性の頭部
Fig.6 女性の頭部

なお、天鵞絨友禅の発明については諸説ありますが、文献など(註)には斎藤宇兵衛または西村總左衛門(12代)により発明されたとの記述が確認できます。斎藤とは、当時の西村總左衛門の商店の番頭的役割を担った人物です。明治24(1891)年以降に発行された商店の英語のパンフレットには、天鵞絨友禅について「This is OUR OWN INVENTION which must be written in a history of Japanese dyeing.(これは弊社独自の発明品であり、日本の染色史において特筆すべきものです*)」(*筆者訳)と記述されており、事の真偽はさておき、その技術への並々ならぬ自信を窺い知ることができます。

 

作品の制作背景について

さて、西村らが自負する、天鵞絨友禅である本作ですが、実は落款・署名などが付されていないために、西村らの製作であるかについては定かではありません。しかしながら、制作背景の一端を示唆する記事が、明治41(1908)年8月10日発行の『三越タイムス』に掲載されています。

Fig.7 記事「台湾茶広告と天鵞絨友禅」に掲載の画像(『三越タイムス』第8号,明治41年8月10日発行)
Fig.7 記事「台湾茶広告と天鵞絨友禅」に掲載の画像(『三越タイムス』第8号,明治41年8月10日発行)

記事は「台湾茶広告と天鵞絨友禅」と題され、台湾総督府殖産局長の宮尾舜治の考案により、三越が採算度外視の技術改良を行った上で、美人画の天鵞絨友禅を製作した旨が記されています(Fig.7)。本記事によると技術改良とは、風景画が主流であった天鵞絨友禅によって、美人画を表すために行ったとされています。本作品と記事の画像を比較すると、髪飾りの白色箇所が若干異なりますが、両者の図様は酷似しています。当時から西村の商品は三越で盛んに取り扱われており、例えば現存する型友禅裂などが商品として同誌にしばしば掲載されていました。そうした背景を勘案すると、西村が本作の制作を請負っていても不思議ではありません。また、記事掲載の画像のうち、左の作品に酷似する天鵞絨友禅が〈元禄美人図〉として同様の額装で現存しています。そうした類作とともに、本作についても今後の検証を重ねていく必要があるでしょう。

 

 明治時代の天鵞絨友禅の制作技術はまだ十分に解明されているとは言えません。本作は、三越の依頼による制作物か、または何らかの目的による模写か、様々な制作背景が推測されます。天鵞絨友禅の技術解明も視野に、その制作背景が今後の研究により解明されることを期待します。

 

(註)農商務省商工局編『各府県輸出重要品調査報告』(1908)および村上文芽 編『近代友禅史』(芸艸堂, 1927)