作品紹介:『桜花真冩』

3月末以降、桜前線は日本列島を北上し、現在は北海道の五稜郭などで桜が見ごろを迎えています。桜前線はソメイヨシノの開花予想を伝えるものですが、日本にはソメイヨシノ以外にも100種以上の桜が存在しています。今回ご紹介するのは、そうした桜の絵を収録した画帖『桜花真冩』です。

 

◆坂本浩雪筆『桜花真冩』 絹本著色 手鑑1冊

 Fig.1 画帖(右:浅黄桜、左:玉緒桜)

 

真冩(写)とは、物事をありのままに写すという意味で、本作品は36種類の桜の写生図をまとめた画帖です。各桜画は、縦約16.2 cm横約13 cmの絹布(絹本)に描かれ、金砂子地の厚紙へ張り込まれた上で、縦約20 cm横約16.5 cmの手鑑形式に装丁されています。着色には、花に胡粉などの白色顔料や黄色顔料また臙脂などの染料が、葉や雌蕊、新芽などを草の汁や臙脂などの染料が用いられており、限られた色数の中で、各種類の特徴を捉えようとする作者の姿勢が伺えるようです。

各桜画には、樹名、種類数、地名を示す墨書があり、地名は京都・奈良・大阪を中心に、北は宮城、南は鹿児島など、日本各地の地名が記されています。36種類の樹名と地名の内訳は以下の通りです。

 

 漣(洛東華頂山[知恩院])、垂枝(洛東華頂山)、爪紅(洛東高臺寺月真院)、地主(清水寺)、小(洛東長楽寺)、衣笠(洛北衣笠山)、勅銘 曙(洛鞍馬口閑臥庵)、普賢象(洛千本閻魔堂)、浅黄(洛西仁和寺宮)、玉緒(洛西仁和寺宮)、勅銘 法輪寺(洛西嵯峨法輪寺)、勅銘 玉(城州醍醐櫻之坊)、八重(南都一乗院宮)、勅銘 御園(南都興福寺)、山(和州吉野山)、乕[虎]尾(和州芳野 如意輪谷)、勅銘 三吉野(禁中)、手枕(和州吉野 吉水院)、香(泉州堺  天王山)、愛耶(河州藤坂 明尾寺)、伊勢(攝州小曽部 伊勢寺)、入相(攝州小曽部 金龍寺)、有明(攝州有馬山)、樺(江州日野上郷 蔵王社)、勅銘 常盤(勢州白子浦 観音寺)、桐ケ谷(相州鎌倉)、勅銘 暁(洞中 江戸来福寺)、開終(江戸谷中 了玄寺)、艶(江戸)、夕榮(野州日光山)、鹽竈(奥州千賀浦 塩竃明神)、筑波根(常州 櫻川)、芝山(世上一様 六辯白花)、八重單、元日(薩州 鹿児島)、薄墨(豫州 和氣西方[法]寺)

※表記ママ ※[ ]書きは筆者が追加した

 

奥書には、落款「香邨」と「写蘭居士」(朱文方印)」と共に、作品の制作経緯が記されています。それによると、作者は坂本浩雪(さかもと こうせつ、1800~1853)で、広瀬花隠(ひろせ かいん、1772?~1849頃)の三十六種の桜図を描いたものであることが記されています。浩雪は、紀伊(きい)和歌山藩医の父・坂本純庵(さかもと じゅんあん)から医術、曾占春(そう せんしゅん)から本草学を学び、摂津(現在の大阪)高槻藩に仕えた、医師および本草学者です。桜画家としても知られており、本作品の様な桜画を、29種類納めた画譜『桜花譜(おうかふ)』を刊行しました。一方、花隠は桜画で有名な三熊派の画家の一人で、三熊派の祖・三熊思考(みくま しこう、1730~1794)の弟子にあたります。

ところで、100種類以上もある桜から、この36種の桜はいかにして選び取られたのでしょうか。

 

 Fig.2 仁和寺の浅黄桜(御衣黄桜)2021年4月

 

描かれた桜図を改めて見直すと、京都府の清水寺の地主桜、愛媛県松山の西法(方)寺の薄墨桜、宮城県の鹽竈神社の鹽竈桜など、現在も人々に親しまれている名木が含まれています。他方で現在では失われた、もしくは名称が伝わっていない樹種も少なくないようです。京都の仁和寺には浅黄桜と玉緒桜が収録されていますが、今春取材した際には、浅黄桜のみ、別名「御衣黄桜(ぎょいこうざくら)」として、見つけることができました。ただし、浅黄桜と御衣黄桜は別物と扱う同様の桜画帖もあるため、さらに検証する必要があるでしょう。

 

 一方で、日本で36と言えば、三十六歌仙が連想されますが、代表的な花を選定したものを「三十六花撰」(かせん)として称して、賞玩する文化が江戸時代にはあり、桜画にもその流れが訪れます。本作品の『桜花真冩』と同じように、36枚の桜画を収めた画帖は、三熊思考による『桜花帖』や、思考の妹・三熊露香(みくま ろこう、?~1801頃)による『桜の譜』、広瀬花隠の『六々桜品』などが主に挙げられます。

 

Fig.3 落款と印

 

その中でも本作品と関係が深いのは、奥書が示す通り、花隠です。桜の表現が似ていることもさることながら、描かれた桜の種類にも共通点が見られます。先述した思考や露香らによる画帖と本作品の桜図との間は、14~15種類の相違がありますが、花隠の『六々桜品』では3種類の相違に留まります。さらに、花隠が設けたとされる「桜花三十六品写生各軸展観」の記録図と照合すると、相違する桜は1種類のみです。花隠と浩雪の直接的な関係は明らかではありませんが、花隠と同時代を生きた浩雪が、その展観会と何らかの関係を持った、もしくは展観会の記録図を見たのかもしれません。ただし、本作品の表現や落款を見るに、本作品のもととなる浩雪の作品が他に存在する可能性もあるため、本作品の由来について今後の研究が俟たれます。


こうした江戸時代の桜画の名手にまつわる画帖によって、西村總左衛門らは桜の表現を学んでいたのかもしれません。