近世絵画コレクション

The Collection of Early Modern Painting

概要Overview

This collection includes the work of Kyoto-based artists such as Maruyama Ōkyo (1733-95), Mori Sosen (1747-1821), and the Kishi school, as well as the Chinese painter Shen Quan (1682-?) and other artists. Two of Ōkyo’s paintings kept in the collection are nationally designated as Important Cultural Properties. After the Meiji Period, some of these works were used as a base to create ornamental textiles that were afterwards acquired by the Imperial Household Ministry. In addition, there are inscriptions detailing the provenance of some of the works, as well as chronicles recording how they were seen by Japanese painters from the late modern period. Such inscriptions and records provide valuable material for future research.

所蔵品の紹介

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[重要文化財] 保津川図
円山応挙筆 / 屏風 八曲一双 / 紙本墨画著色 / 寛政7(1795)年 / 各154.5×483.0 (cm)

保津川の急流を八曲一双の大画面に表している。右隻は奥の滝つぼに落ちた水が支流と合流して勢いを増し、波濤となって左から右へ流れている。一方、左隻では、谷間を縫って走る水の激流が、岩にぶつかりながら右から左へと流れる。水に濡れた岩肌が黒塗りで表されることで、青白い水との明快なコントラスト生まれ、保津川の存在感が際立っている。明治時代から当コレクションを代表する作品のひとつとされており、明治28(1895)年5月の第4回天覧品調査の際には天覧美術品として広島の大本営への貸出作品に選定された。また近代画家の作品との関連が度々示唆されており、例えば竹内栖鳳は本作の縮図を写生して明治21(1888)年に〈保津川〉屏風(奈良県立美術館所蔵)を描いたと言われいている。なお、筆者とされる円山応挙(1733-1795)は、本作の前年に金刀比羅宮表書院(香川県)に障壁画〈瀑布図〉を描いており、本作と図様の共通点も多いことから、なんらかの関連が考えられる。

[備考]
右隻:[款]乙卯晩夏冩/應舉 [印]應舉之印(白文方印)
左隻:[款]應舉 [印]應舉之印(白文方印)

[重要文化財] 写生図巻 甲巻および乙巻
円山応挙筆 / 巻子 甲巻:23紙、乙巻:9紙 / 紙本墨画淡彩 / 明和8-安永元(1771-1772)年 / 甲巻:巾31.8×全長1009.0 (cm)、乙巻:巾 44.0×全長277.0 (cm)

多種多様な草花や動物が描かれた淡彩の写生作品。各図の横には日付が記されている。厚くしっとりとした皮に覆われた筍、柔らかい毛皮の兎、鋭く硬い笹の葉など、各写生図は見る人に質感や量感までも伝えてくれる。また太細や硬筆・付け立てなど様々な筆線を使い分けて各図が表されている。なお、同様の写生図は複数現存している。本作は甲巻と乙巻に分かれ、それぞれ23紙、9紙から成る。甲巻には、円山家第4代円山応立(1817-75)による墨書「上京廿五番組 姉小路通両替町西入柳之本町 士族圓山應立所持」が貼付されていることから、応立が明治時代まで本作を所持したことがわかっている。明治28(1895)年2月の第2回天覧品調査の際には、天覧美術品として広島の大本営へ貸出す作品に選定された記録が残る。

[備考]
甲巻:[墨書]「上京廿五番組 姉小路通両替町西入柳之本町 士族圓山應立所持」
[款]曽祖父應擧真蹟/圓山應立織蔵 [印]「應立之印」(白文方印)「主水」(朱文方印)
乙巻:[款]曽祖父應擧真蹟/圓山應立織蔵 [印]「應立之印」(白文方印)「主水」(朱文方印)

猪図
森狙仙筆 / 屏風 二曲一隻 / 紙本墨画淡彩 / 江戸時代後期 / 156.6×172.4 (cm)

羊歯を踏み、萩の傍らで臥して眠る大きな猪が描かれている。淡墨で量感をもって描かれた体躯に、太細混在の墨線を丹念に重ねて、野生の獣の毛を表出しており、穏やかながらも野生動物のどっしりとした存在感を描き出す。「臥猪」と称されるこの画題は、江戸時代以降に亥の年を祝う意味で「富寿亥」の文字が当てられた。また人の心を鎮めて安泰にするという意味の「撫綏」に語呂が通じることから、吉祥画に用いられた。森狙仙(1747-1821)は大坂(阪)を拠点に活躍した画家で、狩野派に学びながらも円山応挙からも影響を受け、猿・鹿などの絵で優れた作品を残す。

[備考]
[款]祖仙 [印]「祖先」(白文方印)「守象之印」(朱文方印)

[重要美術品] 孔雀図
岸駒筆 / 掛軸1幅 / 絹本著色 / 江戸時代後期 / 191.7×144.2 (cm)

水辺の海棠の樹下に憩う雌雄の孔雀。大きな岩の上で尾羽根を広げる雄、その傍らにはこちらを見つめる雌が佇む。周囲には、コルリやスズメなどの種々の小禽が飛び交う。本作の筆者は、岸派の創始者である江戸時代後期の画家、岸駒(1749/1756-1838)とされている。岸駒は安永6(1777)年以降に京都へ出て本格的に画家としての活動を開始し、南蘋派や円山派などに学び、独自の画風を展開した。なお、岸駒による同様の孔雀図は他に複数存在している。本作には、明治28(1895)年1月の第2回天覧品調査の際には、天覧美術品として広島の大本営へ貸出す作品に選定された記録が残る。また、本作を下図に制作された〈塩瀬友禅に刺繍海棠に孔雀図掛幅〉は、明治14年(1881)の第2回内国勧業博覧会の出品され、宮内省(当時)に買い上げられた。現在は宮内庁三の丸尚蔵館に所蔵される。

[備考]
[款]雅楽助岸駒寫 [印]「可観」「岸駒」白文連印

水辺群鶴図
吉村孝敬筆 / 屏風 六曲一双 / 紙本墨画著色 / 天保3(1832)年 / 各154.8×353.8 (cm)

右隻に波打つ浜辺を進む三羽の丹頂鶴、左隻に川中で休らう五羽の真鶴を描いている。両隻の鶴はそれぞれ異なる姿勢で描かれており、動きを1コマずつ捉えて同じ画面に描く、異時同図法を用いたかのようにも見えるであろうか。波の柔和な描線の調子と相まって、静かだが動きのある画面を演出している。作者の吉村孝敬(1770-1836)は、円山応挙の直弟子の一人であり、応門十哲にも数えられる、円山派の画家。応挙直伝の伝統を維持する重鎮として、近世京都の文化人名録『平安人物誌』の文政5(1822)年版や同13年版などに名を連ねた。

[備考]
右隻:[款]孝敬 [印]「孝敬」「無違」白文連印
左隻:[款]壬辰春日冩/源孝敬「孝敬」「無違」白文連印

瀧図
岸岱筆 / 屏風 四曲一隻 / 紙本墨画 / 江戸時代 / 221.2×180.8 (cm)

丈2mほどの大きな屏風に描かれた瀟洒な滝の図。滝は限られた筆数によって、画面の大半を占める程に、大きく表されている。その手前には水しぶきを浴びて濡れた岩が描かれている。岩に生える草は水に打ち付けられているせいか、下を向いている。所々に見られるにじみによって、見る人は湿潤な空気を感じることができる。筆者とされる岸岱(1782/1785- 1865)は岸駒の長子で、岸派の2代目として流派の発展に務めた。落款にも記される従六位下筑前介には文化5(1808)年に、従五位下筑前守には嘉永6(1853)年に叙任される。父の岸駒とは金沢城で、また岸竹堂とは京都御所で、それぞれともに障壁画を描いている。

[備考]
款]筑前介岸岱 [印]「岸岱」「君鎮」(白文連印)「同功館」(朱文長方印)

群鹿図
沈南蘋筆 / 屏風 八曲一隻 / 絵画:絹本墨画著色、墨書:紙本墨書 / 擁正3(1725)年 / 156.9×394.6 (cm)

渓流で憩う鹿の群が描かれている屏風作品。その両端には「塵鹿攸伏」「塵鹿濯々」と詩経の祖霊祭祀詩の一説を記した墨書が伴われる。群れはひときわ目立つ白い老鹿を中心に据え、その視線の先には小鹿を見守る母鹿、傍らには見つめあう雌雄の鹿が描かれている。その周囲を松や霊芝や庚申薔薇が取り囲んでいる。鹿を含め、各モチーフに長寿や富貴といった吉祥性が込められている。筆者は沈南蘋(1682-?)と伝わっている。沈南蘋は中国清代の画家で、伊藤若冲をはじめ多くの画家に影響を与えた。本作は、明治6(1873)年に12代西村總左衛門の父・三國幽眠(1810-96)から200円で譲り受けたことが、付帯する証書から明らかになっている。

[備考]
[印](朱文方印)(白文方印)

眼鏡絵 (内、京大仏図および姑蘇万年橋図)
円山応挙筆 / 地紙・まくり5枚 / 紙本墨画淡彩 / 18世紀半ば / 各14.0×23.3 (cm)

眼鏡絵とは、レンズを通して絵を覗いて鑑賞する風景画の一種で江戸時代中期以降に伝来した。当コレクションには円山応挙によるものと伝わる眼鏡絵が5枚現存し、本作はその内の2枚である。〈京大仏〉では京都の方広寺が、〈姑蘇万年橋図〉では蘇州の万年橋が、それぞれ描かれている。なお、姑蘇万年橋図は、蘇州版画〈姑蘇万年橋図〉(神戸市立博物館所蔵)(1740)と酷似しており、その一部を写したものと思われる。ところで、本作には森寛斎(1814-94)による明治6(1873)年の極書が共に遺されており、作品の伝来などが記されている。寛斎が本作を見たことや、本作が当コレクションへ収蔵された時期などを示す資料ともいえよう。

江戸風俗図
菱川師宣工房 / 屏風 六曲一双 / 紙本著色 / 元禄年間(1688-1704) / 各93.8×280.4 (cm)

歌舞伎座と遊里の人々の賑わいを描いた絵画。歌舞伎図では、櫓幕に「狂言尽 なかむら勘三郎」と銀杏の座紋が見えることから、江戸の中村座を示している。外には客を呼び込む木戸芸者、中には舞台役者による太平大踊りとそれに熱狂する観客、さらに左手には楽屋の活況が描かれている。一方の遊里図では、画面右側に通りを配して、置屋を覗きこむ遊客や揚屋へ向かう遊女を描き、左側には賑やかな宴の座敷、さらに蚊帳を吊った寝所へとつながっている。 本作品は、浮世絵の確立者とも言われる菱川師宣(?-1694)風を示している。また画面構成については、伝菱川師宣〈歌舞伎図屏風〉(東京国立博物館所蔵)と共通する点が多く、今後の研究が待たれる。

龍図(内、右隻)
伝 狩野探幽筆 / 屏風 六曲一双 / 紙本墨画 / 江戸時代

雲間から顔をのぞかせる龍を、右隻と左隻それぞれに描いている。たっぷりととられた余白に、湿潤な墨が部分的に描き加えられることで厚い雲の層を表出している。雲間から顔を出す龍は、睨みを利かせているのだろうが、どこか愛嬌のある表情で描かれている。本作を下図にした〈天鵞絨友禅「龍図」掛幅〉が第3回内国勧業博覧会(1890)に出品され、宮内省(当時)に買い上げられた。現在は宮内庁三の丸尚蔵館の所蔵である。

[備考]
[款]法眼探幽筆 [印]「守信」(朱文瓢箪印)

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