概要Overview

Nishimura Sōzaemon XII collaborated with artists to create ornamental textile, i.e., textile products created for the purpose of being appreciated as works of art, in the same way as paintings. Embroidery works and birōdo (velvet) yūzen works proved to be widely successful. The embroidery works, particularly, gained social recognition to the point that Nishimura Sōzaemon XII was often summoned to act as jury in exhibitions and similar events. Ornamental textiles were coveted both nationally and internationally: they were acquired by the Imperial Household Ministry, and exported under the name “S. Nishimura” or “Nishimura Sozayemon”. Today, some of these ornamental textiles form part of museum collections. Actual ornamental textiles as well as preparatory sketches are shown here.

所蔵品の紹介

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看板 S.Nishimura
額装1面 / ビロード地、友禅染 / 明治時代 / 79.5×108.0 (cm)

英語圏の顧客に向けて、天鵞絨友禅で制作された看板。文字の部分が輪奈切りされ、背景は輪奈のままで残されている。シンプルなデザインながら文字が際立って見える。天鵞絨友禅をまさに看板商品の1つとしていた、西村總左衛門の商店の活気が感じられる。

天鵞絨友禅 富士に松図(裏面:刺繍 鴨に芦図)
衝立1面 / ビロード地、素描友禅・羽二重地、刺繍 / 明治20(1887)年 / 70.4×66.9 (cm)

衝立の片面には富士山と松が天鵞絨友禅で、もう片面には葦茂る水辺を進むつがいの鴨が刺繍で、それぞれ表現されている。衝立は珍しい鳥居型形状であり、こうした趣向の衝立は万国博覧会の会場写真で確認できることから、輸出を意識した形状ではないかと考えられる。天鳶絨友禅の面では、松は輪奈切り天鳶絨で、背景の富士山は遠近感を出すために輪奈のままで友禅染が施されている。一方刺繍の面では、羽二重地に平糸を刺繍することで、原画の花鳥画の筆遣いを踏襲する繊細な繍跡で鳥の羽や芦があらわされている。

月に髑髏 舞姑に桜
下絵:岸竹堂、糊置き・染工:村上嘉兵衛、繍工:小林久治郎 / 掛軸 対幅 / 絹地、手描友禅、刺繍、金駒縫、描絵、金属泥 / 明治23(1890)年 / 各146.4×52.6 (cm)

頭蓋骨と舞妓という、異色の組み合わせの対幅である。月夜に浮かび上がる頭蓋骨とススキ、桜樹の下で艶やかな椿文様の振袖に身を包んだ舞妓が、それぞれ表されている。一見すると絵画のようだが、刺繍と友禅を駆使して作られた染織品である。頭蓋骨は、刺繍が丹念に重ねられ、解剖学に基づく立体的な骨の形状が浮かび上がっている。傍らの芒の穂はごく細い糸で縫われており、月光を受けて光っているようにも見える。一方、舞妓は、御髪から振袖まで、糸目友禅・色挿し・刺繍で丹念に表されている。帯には別布を貼り付ける「切符」と呼ばれる技法を施すことで、立体感や質感を再現している。下図は岸竹堂が手掛けており、本作の類似する舞妓のスケッチ(個人蔵)が現存している。また〈月に髑髏〉の月の表現は、竹堂の本画〈月下猫児図〉の月と技法的に共通するものがある。なお、本作の保存箱の蓋裏には、日出新聞の記者、金子静枝(1851-1909)が明治38(1905)年2月23日に祇園で記した墨書がある。その墨書には、岸竹堂が下絵を、村上嘉兵衛が糸目糊置きと染めを、小林久治郎が刺繍をそれぞれ担当したことなど、本作の制作背景が記されている。

天鵞絨友禅 友禅張物図
小襖4面 / ビロード地、素描友禅 / 明治20(1887)年 / 各27.7×41.5 (cm)

修学院離宮の中御茶屋客殿の霞棚下部地袋の宮崎友禅の手による小襖絵「友禅染の張り場の風景」を天鵞絨友禅で忠実に再現した作品。羽子板型の引手金具までも実物通りに作っており、図様だけでなく修学院離宮の雰囲気も写し取ろうとする姿勢がうかがえる。ほとんどが輪奈切りの天鳶絨友禅だが、地色は輪奈のまま金泥が引かれ、修学院離宮を意識した優雅な雰囲気を演出している。

刺繍 芦に千鳥
屏風 四曲一隻 / 絹、刺繍 / 明治時代 / 174.0×260.8 (cm)

穏やかな月夜に、浜辺を進む3羽の千鳥と葦があらわされた刺繍屏風。千鳥と波や葦の組み合わせは、着物においても頻繁に用いられる。糸の脱落や裂けなどの損傷が目立つものの、糸の太さや重ね具合を使い分けて、鳥・葦・月・白波・岩などに個々の質感を持たせつつ、空と海が溶け合う夜の浜辺の空気感を表現した作品。

刺繍 孔雀図
額装1面 / 羽二重地、刺繍 / 明治時代末期(20世紀初頭) / 98.2×84.0 (cm)

地面をついばむ雌の孔雀を、桜樹から見つめる雄の孔雀を表した刺繍作品。甘撚りの杢糸(2色以上の糸を撚り合わせたもの)により絹糸の光沢が際立っている。岸駒筆〈孔雀図〉や、岸竹堂の手によるとされる各種の孔雀図下絵との、図様の共通点が多く見受けられる。

天鵞絨友禅 元禄美人図
額装1面 / ビロード地、友禅染 / 明治40(1907)年頃 / 92.6×59.3 (cm)

兵庫髷を結い、元禄風の衣装に身を包む女性を、天鵞絨友禅であらわしている。本作の原画は、石版画家の波々伯部金洲(1862-1930)の手による美人画で、当時元禄時代風の商品を展開していた三越呉服店(当時)のポスターに起用され、明治40(1907)年の東京勧業博覧会などに掲示されて好評を博した。モデルは新橋の芸妓、清香とされている。明治時代のポスターには芸妓を起用することが多く、彼女らはファッションの流行を牽引する存在であった。本作と原画やポスターを比較すると、輪郭線や模様の若干のずれはあるものの忠実に再現されている。

刺繍 芦に舟
額装1面 / 絹、刺繍 / 明治45(1912)年 / 66.5×86.5 (cm)

葦茂る水辺に停泊する苫舟をあらわした刺繍作品。苫舟と葦の組み合わせは閑静な侘びた趣向を表す。本作は、舟や葦などの描写対象物のみが刺繍で表出されているものの、その周囲に糸で余韻をつけることで、ひなびた空気感を演出している。他方で、舟の木部の筆の痕跡や葦のガサガサとした筆致など、下図となった絵画の技法までも表現しようとする姿勢が伺える。

下図 楊柳観音図
掛軸1幅 / 絹本著色 / 明治28(1895)年頃 / 215.0×114.7 (cm)

刺繍の美術染織品の下図として製作された、伝呉道子筆〈楊柳観音図〉(大徳寺芳春院蔵)の摸本。岸竹堂の手によるものと伝えられる作品。この下図を基に制作された〈刺繍楊柳観音図〉が第4回内国勧業博覧会に出品され、最高位の名誉賞を授与された。楊柳観音図とは、善財童子が補陀落山に住む観音を訪れるという、『華厳経』の一場面を描いた仏画。本摸本では、刺繍製作に必要な範囲に限定して鮮やかな着色と緻密な文様描写が施されており、他方で、刺繍作品では表されなかった画面右下で跪座する善財童子と画面左下で観音を礼拝する一行は線描きに留められている。また、岩や尊顔や衣などのモチーフ毎に異なる墨線が丹念に描き分けられており、より絵画的な表現を目指したと考えられる。実物の〈刺繍楊柳観音図〉(京都国立博物館所蔵)は一見すると絵画と見まごうばかりだが、その表現は下絵制作の段階からの緻密な計画の上で成り立ったと言えるであろう。

下図 虎と鷹図
掛軸1幅 / 紙本墨画 / 明治28(1895)年頃 / 34.2×51.8 (cm)

美術染織品の下図として制作されたもので、鷲に攫われたわが子に向かって咆哮する虎が描かれている。少ない筆線でありながら、鷲、虎、背景が的確に表出されている。墨線以外に、木炭のような筆記具による線描の痕跡が残る。本作以外にも2枚の下図が現存している。1枚は本作とほぼ同寸に描き起こした墨画著色、もう1枚は完成品とほぼ同寸に拡大された墨画淡彩で現在は屏風装に仕立てられている。この一連の作品は岸竹堂の手によるものとされている。本図を基にした〈天鵞絨友禅虎鷲図〉は第4回内国勧業博覧会(1895)で妙技2等賞を受けた。さらに岸竹堂が協賛2等賞、染工の藤井繁太郎も妙技3等賞を7月11日授与された。実は受賞に先駆けて、5月24日の明治天皇行幸の際に、本作は宮内省(当時)のお買上げとなっており、当初から注目されていたことが伺える。

下図 孔雀図1 および下図 孔雀図2
掛軸各1幅 / 紙本墨画淡彩 / 明治15(1882)年頃 / 孔雀図1(上):182.3×97.0 (cm)、孔雀図2(下):160.0×88.5 (cm)

庚申薔薇の傍らの岩場に佇む雌雄の孔雀を描いた2種類の下図。華麗な尾羽を持つ孔雀は富貴を、また長春花と称される庚申薔薇は繁栄の意味を持つ。2つの下図とも、孔雀の体躯から脚にかけての微調整が重ねられている。さらに、孔雀図(2)には色の指示書きや尾羽の向きを補足した矢印などが追記され、試行錯誤の痕跡が見える。これらをもとに制作された刺繍作品が、明治15(1882)年に12代西村總左衛門の名で宮内省(当時)に買上げられ、現在でも宮内庁三の丸尚蔵館に〈塩瀬友禅に刺繍薔薇に孔雀図掛幅〉として所蔵されている。岸竹堂が本図の制作に関係したことが伝わっており、同様の下図がこの図以外にも描かれている。また本作品群との関連は定かでないが、竹堂の落款の入った同様の孔雀図(個人蔵)も存在している。

賞状 龍池会 銀牌
地紙・まくり1枚 / 紙本 / 明治19(1886)年

明治19(1886)年に龍池会から「刺繍友禅染屏風」に対して西村總左衛門が銀牌を受けた際の賞状。詳細は不明だが、日付から、おそらく龍池会主催の第7回観古美術会での受賞であったと推察できる。その会で西村は「刺繍花鳥図四枚折屏風/天鵞絨友禅染扇面形花鳥図」1隻を含む6件を出品していた。龍池会は佐野常民や九鬼隆一らが美術振興を目的に、古美術の鑑賞と品評会を行ったのが始まりで、現在の日本美術協会の前身である。

賞状 第3回五二会全国品評会 有功賞金牌
地紙・まくり1枚 / 紙本 / 明治32(1899)年

明治32(1899)年4月の第3回五二会全国品評会において、西村總左衛門が「刺繍画幅野薔薇/雉子図」で有功賞金牌を授与された際の賞状。五二会は前田正名によって立ち上げられた品評会で、織物や陶磁器などの5種目が出品対象であった。啓蒙的な博覧会とは異なり、商品販売と流通の促進を目的に「売れるものが良いもの」であるという考えが活動の根底にあった。記録では、12代西村總左衛門は同会の刺繍部長を務めた。

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