近現代の商い

Adapting the Business to the Modern World

概要Overview

The scene of arts and crafts in Kyoto went through a profound change when the capital and the Emperor moved to Tokyo. The Nishimura family placed yūzen dyeing at the core of the production method. Nishimura Sōzaemon XII commissioned artists to paint sketches that would prompt a renovation in the design of yūzen dyeing products. Thereafter, a large variety of products, including ornamental textile, western style clothing, and kata-yūzen (yūzen textiles dyed using paper patterns) were distributed to newly opened national and international markets. During the Taishō period (1912-1926) Chiso grew with the establishment of the foreign trade branch and the Tōkyō branch. However, the Great Depression and World War II would soon follow. In these rapidly changing times, renewed efforts were required to improve the yūzen dyeing techniques and to ensure that product quality was maintained.

所蔵品の紹介

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看板 宮内省御用達 京都 西村總左衛門
看板1枚 / 木製 / 明治時代 / 30.0×45.4 (cm)

厚さ5センチ程度の木製の看板。千切台を俯瞰したロゴマークや、「大日本帝国京都」の文字はなく、日本語と英語で「宮内省御用達/京都/西村總左衛門」とだけ記したシンプルなデザインのもの。使用年代は定かでないが、宮内省御用達制度が存在した明治24(1891)年から昭和29(1954)年の間であると思われる。

御用商売鑑札
札1枚 / 木製 / 明治10(1877)年頃 / 13.2×7.5 (cm)

六条御殿(東本願寺)の御用を認める鑑札。同様の鑑札で、天保8(1837)年のものは駒形をしていたが、明治に入って発行された本作は形が変わり、小型化している。そもそも駒形には高い権力や支配を示す意味があり、特権を示す象徴的な形状であった。前近代から近代への移り変わりに伴う、寺社に関係する特権の性格の変化を考える上でも興味深い資料である。

[備考]
出典:『千總四六〇年の歴史 : 京都老舗の文化史』(展覧会図録)(京都文化博物館/千總、2015年)

商標
地紙・まくり1枚 / 紙本印刷 / 明治時代

明治時代以降に使用された西村總左衛門の商標。国内外に向けた広告や、刺繍や天鳶絨友禅の扁額作品の裏側のラベルなど、あらゆるものにこの商標が貼付された。商標と共に表示される内容には、商店の住所や電話番号の他に、「宮内省御用達/PURVEYOR TO H.I.J.M’S HOUSEHOLD S.NISHIMURA」「刺繍天鳶絨友禅」「刺繍婦人服地製造販売」などといった代表的な商品の紹介が多かった。

写真 西村貿易店
写真1枚 / 紙本 / 大正時代 / 23.0×29.4 (cm)

京都の三条御倉町に立つ、西村貿易の建物とその前に集合する社員を撮影した写真。社員はほぼ全員が男性で、女性は右端に立つ1名のみである。一部の社員を除き、スーツ着用者が大半を占めている。詰襟を着用した人は若者だろうか。西村貿易とは西村總左衛門の商店の貿易部門が移転分離してできた会社である。国内製品を取り扱う西村總左衛門の商店を南店(現在の株式会社千總の立地)と呼ぶのに対して、西村貿易は北店と呼ばれた。明治38(1905)年発行の『京都商工録』には、貿易部門でも西村の名前が記載されている。同社はその後大正7(1918)年には株式会社化した。写真の建物は、古典主義をベースにしながら、当時西洋の最新の様式であるアール・デコの要素を取り入れた木造の洋館で、大正9(1920)年に竣工した。現在も文椿ビルジングとして同地に建っている。

写真 西村貿易東京支店
写真1枚 / 紙本 / 昭和時代 / 21.6×27.7 (cm)

西村貿易東京支店の建物前で撮影された集合写真。男性の殆どがスーツ、女性は着物を着用していることが印象的だ。西村貿易は西村總左衛門北店の貿易部門が独立したもので、東京はその出張所である。各種記録によると、東京府京橋区山下町10番地(現在の中央区立泰明小学校周辺)に店を構え、友禅染、呉服、絹織物刺繍美術品などを取り扱っていたようだ。関連資料は調査段階にあるが、当時の商店の帳簿には明治41(1908)年上半期以降で「東京支店」の表記が確認でき、『帝国信用録』などの各種信用録でも同年に開業した記録が残る。

写真 千總友禅工場(蒸し)
写真1枚 / 紙本 / 昭和時代 / 1.0×15.5 (cm)

千總友禅工場内で行われている蒸しの工程を撮影したもの。右端には閉じた状態の木製の蒸し箱、左側には蒸し箱から取り出した蒸し枠とそこに掛けられた友禅の反物が写っている。友禅工場は、京都の伏見二の橋にあった。昭和18(1943)年に、京友禅製造の実情視察のために、宮内省(当時)の小出侍従が工場を訪れていおり、当時の視察の写真を収録した社内向けアルバムが特別に作られた。

御物裂模写
岸九岳筆 / 手鑑1冊 / 絹本墨画淡彩 / 明治22(1889)年 / 26.2×23.7 (cm)

正倉院と法隆寺に由来する古裂を模写した画帖。本扉には墨画淡彩で正倉院正倉が描かれ、各ページには図案の様に配された多種多様な裂が濃彩で描かれている。一部の模写は現存する正倉院宝物の裂などと照合できる。そうして比較をして見ると、画家が模様の形状や織方に至るまで丹念かつ正確に写し取っていることがわかる。なお、各摸本の裂の名称は、別冊『古裂寫名稱』で確認することができる。掲載ページ見開き右側に描かれた赤地の裂は「法隆寺蔵/聖武帝御寄付/御幡蜀江錦」と記される。本作の筆者である岸九岳(1852-1921)は、岸連山(1804-1859)の実子で、京都府画学校でも教鞭をとった。また「杉子爵題字」と記す紙片が別添されている。杉子爵とはおそらく正倉院御物整理掛の掛長、子爵杉孫七郎(1835-1920)を指すと思われる。

[備考]
扉絵:正倉院正倉図
[印]「岸昌英印」白文方印「九岳」朱文円印
奥書:[款]己丑小春/ 九岳岸美
[印](白文方印)九岳(朱文方印)

絹本雛形
手鑑1冊 / 絹本墨画淡彩 / 明治時代 / 42.8×28.4 (cm)

絹本絵画を収めた手鑑。用途や年紀などは不明だが、花鳥画や風景画を中心に、多種多様な画風と画題を墨画淡彩で描いている。中には、東本願寺阿弥陀堂飛檐之間に納められている岸竹堂による襖絵〈桜孔雀図〉(1895)、また菊池芳文の桜花と烏、木島櫻谷の鹿を思わせるような、構図、筆さばき、色合いを持つ絵も含まれている。友禅や美術染織品などの商品の企画・製造にあたって当時の西村の画工が、近代京都画壇の日本画から多くを学んでいたことが伺える。


図案 杉樹と熊
伝岸竹堂 / 掛軸1幅 / 絹本墨画淡彩 / 明治初期(19世紀後期) / 75.0×62.0 (cm)

杉の木の横で、小川を跨ごうと歩を進める熊を墨画淡彩で描いている。岸竹堂による下図として伝わる無款の作品であるが、表現などを比較する限りでは、画工の学習成果または写生見本である可能性が高い。当コレクションには竹堂および今尾景年による同様の図案掛軸が、100点ほど現存しており、本作はその内のひとつである。なお、本作の表現と構図は京都御所の御常御殿に納められている竹堂筆の襖絵〈谷川に熊図〉(1883)を彷彿とさせる。


帛紗図案
手鑑各1冊ずつ / 紙本著色 / 明治-大正(19-20世紀初期) / 小型帖 (上) :29.5×26.5 (cm)、大型帖 (中、下):79.0×35.0 (cm)

袱紗用の2種類の図案帖。明治時代以降、袱紗はお土産として国内外で人気を博しており、同様の図案帖がコレクションに複数存在している。本ページで表示されているのは、「西村總所蔵」「図案用紙」と印字された用紙に描かれた小型の図案帖と、大型の手鑑帖である。小型の図案帖の、左頁は『枕草子』の「香炉峯の雪」における清少納言を、右頁は乳飲み子の牛若を抱えて子供たちと雪中を逃亡する常盤御前を表す。大型の図案帖で表示した作品は、高砂の尉(じょう)と姥(うば)を描いた、「景年」の墨書のある絵や、竹堂の墨書と四角形の印形が記された富士山の図案を収録している。特に後者は、定番の図案だったのか、「竹堂富士」との名前が付けられている。景年は今尾景年(1845-1924)、竹堂は岸竹堂(1826-97)を意味すると思われ、本図が画家自身の手によるものかは定かではないが、帛紗など幅広い商品企画に日本画家が関係していたことを指し示している。


洋服地図案集
手鑑1冊 / 紙本著色 / 明治-大正(19-20世紀初期) / 35.0×42.0 (cm)

洋服やそのための模様の図案を掲載した手鑑。ブラウスやスカートのパターンと思われる図形の中に、水彩絵の具のようなもので丁寧に模様が描かれている。全体を通して、日本の草花を西ヨーロッパ風にアレンジしたような小花柄を描いており、図案家の技量の幅広さが伺える。明治時代以降、西村總左衛門の商店は日本在住の外国人や、日本人向けに洋服を製作していたために、同様の製品図案帖が複数現存している。

雛形観古畫鑑
冊子1冊 / 紙本墨画(一部著色) / 大正4(1915)年編集

寺院の金具、墨蹟の文字、古典絵画に描かれた調度品、浮世絵など、様々な文化財に関する意匠が丹念に模写されており、本書はそうした摸本を、スクラップブックのように収めた画帖である。絵巻画中の高盛や烏帽子、国宝〈鳥獣人物戯画〉の見返し、重文〈大円山形星兜〉の描き起こし図など、様々な作品の摸本が掲載され、文化財のアーカイブとしても興味深い。本画帖は大正4(1915)年に千總商店の図書部により再編集されており、当時の図案作成に際する、実際の絵画や書跡や工芸品を対象とした意匠学習や、近代日本絵画に限らない古典的意匠への注目の様子が伺える。

西村總左衛門商店紹介パンフレット(英文)
冊子1冊 / 紙本、木版多色刷 / 明治時代 / 18.3×12.7 (cm)

西村總左衛門の商店が制作した、商店を紹介する英語パンフレット。商店の歴史を各種博覧会での受賞歴とともに説明し、友禅染、天鵞絨友禅、刺繍、縮緬織物の各種技術を紹介し、最後にSir. Edwin Arnoldなど様々な人からの推薦文章を掲載した上で、西村總左衛門のあとがきが記されている。技術紹介には谷口 香嶠(1864-1915)と神坂雪佳(1866-1942)が描いた作業風景の挿絵を載せている。発行年は定かでないが、明治22(1889)年のパリ万国博覧会の名誉大賞受賞を強調していること、受賞実績表で最後の欄が1891年であることから、次の万博であるシカゴ・コロンブス世界博覧会までの、明治24(1891)年から明治26(1893)年あたりと推察される。

西村貿易関係資料の内、棚卸表
冊子 1冊 / 紙本墨書 / 大正11(1922)年

大正11(1922)年の西村貿易店の棚卸表。化学染料などの材料名とともに商品在庫量が記されている。当時の貿易店の営業内容の一端を把握することができる貴重な資料。本資料を含め、西村貿易の経営に関する資料が複数年度にわたって存在している。

[備考]
本調査は、公益財団法人京都服飾文化研究財団との「明治~昭和時代における千總の帳簿類の共同研究」により2017年度に実施されました。

奢侈品等製造販売に係る申請書および許可書
書簡各1枚 / 紙本 / 昭和18(1943)および同19(1944)年 / 50×65.0 (cm)※2枚合わせて

奢侈品等製造販売制限規則とは、昭和15(1940)年7月7日施行された省令で、軍需生産など戦争に直接貢献しない贅沢品の製造・販売を禁止したものである。高級織物の製造販売を行う千總はその制限の対象となった。本資料は2種類の書類から成り、向かって左は昭和18(1943)年10月に西村總染織研究所の西村總左衛門の名で東条英機商工大臣宛に提出した許可申請書、右はその申請に対する京都府からの翌19(1944)年7月付けの許可書である。申請するまでさらに許可が降りるまでの西村の活動は調査段階であるが、戦時下でもあらゆる方策を駆使して商売の継続に努める姿勢が伺える。

松竹梅海老注連飾り裾模様
布地1枚 / 絹、縮緬地、友禅染、刺繍 / 1930-40(昭和初期) / 109.0×140.0 (cm)

新年にまつわる多種多様な文様が、あしらわれた裾模様の裂。色糸を巧みに使い分けて立体感を出した若松の角飾り、色挿し・金駒縫い・刺繍でリズムを持って表現される竹、そして染めと刺繍による前垂れのしめ縄と伊勢海老・紙垂・干し柿・橘などの飾り、全ての文様が加飾技を尽くして豪華にあらわされている。コレクションには、本作と同様の文様をあしらわれた小袖が保存されており、おそらく本作の基にしたものと思われる。なお、同様の裾模様の裂は他に複数存在し、昭和初期に集中的に制作された。

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