特別鑑賞会・講演会「千總と美術染織―新たな時代に求められた美と技」 千總コレクションと共に、日本文化の未来を考える 第5回

特別鑑賞会・講演会「千總と美術染織―新たな時代に求められた美と技」

千總コレクションと共に、日本文化の未来を考える 第5回

 

講師 太田彩

日時 2019年7月27日(土)午後2時〜3時30分

於 千總ビル5階ホール

 

 急速な近代化・西欧化を遂げた明治時代から昭和時代初期にかけて、独特な工芸分野が一世を風靡しました。絵画のような図様を、染めや織りの技法で表し、大きな額や衝立などに仕立てたもので、「美術染織」と呼ばれました。

 東京奠都によって宮中をはじめとする美術工芸のパトロンを失い、京都の染織界も大きな打撃を受けました。

新しい時代に求められるものは何かー。 

宮内庁三の丸尚蔵館より太田彩先生を迎え、日本の美とは、伝統とは何か、技術が発達する背景には何があるのか、当時の千總が手がけた美術染織品の解説と合わせて伺いました。

 

美術染織の土壌

 美術染織という言葉は明治時代以降の作品に用いますが、綴織や天鵞絨友禅によって作られた壁掛けや額を製作する土壌は、江戸時代の染織品にみられます。江戸時代中期から発達した友禅染による掛け軸や、絵師が下絵を手がけた小袖には、絵画のような図様を染色で表す特徴があります。また祇園祭の鉾の懸装品や鎌倉時代から発展していた刺繍や織で曼荼羅などを表した繍仏は、装飾のための大型の染織品を作る技術があったことを示しています。染織技術の装飾品への応用、絵師の関与といった明治時代の美術染織への下地はすでに揃っていたといいます。

 

12代西村總左衛門

 

 

千總12代西村總左衛門

美術染織品で名を馳せた人物は、伊達虎一、千總・12代西村總左衛門、川島織物・2代川島甚兵衛、髙島屋4代・飯田新七、佐々木清七です。伊達虎一と佐々木清七は織物、西村總左衛門と飯田新七は友禅と刺繍、川島甚兵衛は綴織を主に手がけていました。

 

12代西村總左衛門は、明治6年に越前の豪商・三国家から西村家に養子として迎えられました。実父・三国幽眠は、五摂家の一つ鷹司家に仕えた儒官でした。のちに宮内省御用達となったのも、鷹司家との結びつきが影響しているのではないかと考えられます。12代西村總左衛門は、実父の旧知であった画家・岸竹堂に染織品の図案を依頼します。竹堂は、刺繍の職人たちの指導にも熱心に取り組んだと伝わっています。また『名家歴訪録』には、職人自らが工夫し、意欲的に取り組む姿が語られ、西村總左衛門が職人を大切にし、育てることに尽力する姿が伺えるといいます。

 

 

 

千總が手がけた美術染織品

 千總は、竹堂をはじめ、今尾景年、望月玉泉、幸野楳嶺、竹内栖鳳らのちに帝室技芸員に任命される画家らとし、数多くの美術染織品を手がけました。美術的な図様、意匠を発展させるために一流の画家と結びついたということがこの時代の大きなポイントです。

西村總左衛門は、明治8年に御下命で友禅染の屏風を製作、明治11年(1878)に天鵞絨友禅を発表、明治14年の第2回内国勧業博覧会出品作「塩瀬地友禅に刺繍〈薔薇に孔雀図〉」

は、宮内省お買い上げになりました。

 

    岸駒「孔雀図」江戸時代後期 (千總蔵)  

「塩瀬地友禅に刺繍〈薔薇に孔雀図〉」の原画となった

 

明治21年に竣工した明治宮殿の装飾を手がけ、国内外の博覧会で数多くの受賞をしました。明治33年(1900)パリ万国博覧会へは宮内省の御下命品として出品した「刺繍 水中群禽図」は宮内庁三の丸尚蔵館に、明治28年の第4回内国勧業博覧会出品作「刺繍 楊柳観音図」は京都国立博物館に収蔵されています。

 

岸竹堂「楊柳観音図」明治28年(千總蔵)

「刺繍〈楊柳観音図〉」のために岸竹堂が大徳寺に伝来する「楊柳観音図」を模写したもの

 

また近年、美術染織品の原画が発見された作品もあります。明治36年第4回内国勧業博覧会出品作「天鵞絨友禅 〈嵐ノ図〉」は原画の作者が分からなくなっていましたが、作品が発見され、今尾景年の弟子・木島桜谷であることが判明しました。原画より天鵞絨友禅の作品の方が、重厚感、立体感があり、技術の特徴がよく出ている作品です。

 

写真「天鵞絨友禅 嵐ノ図」(千總蔵)

 

明治20年代における博覧会の出品記録をみると、下絵を描く画家も職人も評価の対象となってきて、協賛などという形で受賞しています。太田先生は、明治10年代20年代と少しずつ美術染織が評価される中で、制作に関わる人も評価されるようになっていき、業界の意識が上がったのではないか、といいます。

明治時代の美術染織は、日本の伝統的な図様、それを表現する技術力を、西村總左衛門のようなプロデューサー的立場の者が中心に、画家や様々な技術を持つ職人が共同で作り上げました。それらは、日本の伝統性を主軸としながら、近代を意識した新しい感覚を持っている作品だといいます。

新しい時代に求められたものとはー。

太田先生は、彼らが、明治という大変革の時代に日本特有の伝統性を失うことなく、作品を作り続け、継承したこと、それが京都の文化的底力ではないか、と締めくくられました。

 

会場には、宮内省に納められた天鵞絨友禅〈嵐ノ図〉(1903)の原画・木島櫻谷〈猛鷲図〉(1903)、塩瀬友禅に刺繍〈薔薇に孔雀図〉(1882頃)の下絵、当時の写真資料などを展覧しました。

 

◇本講演会の全文は、『千總文化研究所 年報第2号』に掲載しています。

https://icac.or.jp/private/#mokuji

 

 

[講師]

太田彩(おおた あや)

宮内庁三の丸尚蔵館 学芸室主任研究官。鳥取県生まれ、奈良大学文学部文化財学科卒業。奈良国立博物館非常勤職員を経て、現職。皇室伝来の美術品類の調査と保存に携わり、《動植練絵》30幅修理事業にも関わる。主な論文・著書は『伊藤若冲 作品集』(東京美術)、『小栗判官と照手姫』(東京美術)「伊藤若冲と『動植綵絵』」「若冲、描写の妙技」(『伊藤若冲 動植綵絵 全三十幅』小学館)、「近世宮廷美の担い手と底力」(京都国立博物館『京都御所ゆかりの至宝』展図録)、「《万国絵図屏風》がもたらした成果と課題」(サントリー美術館・神戸市立博物館『南蛮屏風の光と影』展図録)など。

*講師の肩書きは講演会開催当時のものです。

 

 

◇本講演会の関連作品を、本サイト内「有形文化財―美術染織の興隆、博覧会の足跡」で紹介しています。

https://icac.or.jp/culture/kouryu/

https://icac.or.jp/culture/exposition/