特別鑑賞会・講演会「千總と東本願寺-御装束師の姿-」 千總コレクションと共に、日本文化の未来を考える 第4回

特別鑑賞会・講演会「千總と東本願寺-御装束師の姿-」

千總コレクションと共に、日本文化の未来を考える 第4回

 

講師 山口昭彦 

2018年10月23日(火)午後2時〜3時半

千總本社ビル5階ホール

 

 

およそ460年前、千總の始祖は、京都で法衣装束の商いを始めました。「千切屋」と号する一門は、京都の三条室町一帯に軒を連ね、僧侶が着用する袈裟や道服、素絹といった装束を寺院に調進しました。中でも千總は東本願寺とのつながりが深く、「御装束師 千切屋惣左衛門」と称し、多くの御用に奉仕しました。

東本願寺より山口昭彦先生を迎え、装束にみられる有職の文化とともに、伝統と品格を継承することについてお話いただきました。

 

 

宮中の文化と寺院の文化

京都の寺院では、天皇や公家の子息が門跡寺院に入り、またご門主の夫人は公家や宮家から嫁がれているため、宮中のしきたりや文化が受け継がれて来ました。東本願寺は教如上人が近衛前久の猶子となったため、近衛家の文化が伝わっています。一方の西本願寺は、九条家の猶子となったため九条家の故実が伝わりました。そのため、宮中の装束と僧侶の装束には多くの共通点があるといいます。

五摂家、各門流にはそれぞれに故実がありましたが、明治維新で門流が廃止となり、五摂家の故実は宮中にほとんど残っていません。山口先生は、寺院の世界に五摂家の故実が伝わっていることは有職の注目すべき事と考えています。

 

黄朽葉色八藤遠紋道服 江戸時代後期ー明治時代 (千總蔵)

 

法服の着装と衣紋道

僧侶の方はどのように着装されているのでしょうか。東本願寺における最高礼装である法服七條袈裟の、着装の実演をご披露いただきました。

着装にあたり、特別ゲストとして来場された衣紋道を家職とされる山科家若宗家・山科言親様より衣紋道についてご説明いただきました。

衣紋とは、宮中の装束の調進、着装の知識とその技術です。平安時代後期から鎌倉時代にかけて強装束が登場し、着装に専門的な知識や技術が必要とされるようになり、家職として現代まで伝承してきたといいます。山科家で着装する男性の装束は束帯、女性の装束は十二単と呼ばれる正装です。法服の装束についてはほとんど扱っていませんが、東本願寺では、山科家が法服の仕立て、文様の決まり、着装に至るまで指導にあたっていた歴史があったようです。

 

 

法服とは?

 僧侶の最高礼装を法服といいます。「袍」と「裳」の二部式になっていて、「袍」は上着僧綱領と呼ばれる三角形の襟が頭の後ろに立っています。僧綱と呼ばれる高位の僧侶にのみ許されました。「裳」は巻きスカートのような形をしています。この形は宮中の装束でいうと「礼服」で、もともと唐代の中国の影響を受けた衣装です。宮中では、孝明天皇御即位後に廃絶しましたが、寺院の文化では僧侶の装束である法服として残っています。

法服の構成は、襪(しとうづ:足先が別れていない足袋のようなもの)、紅大口(くれないのおおぐち:赤い袴)、表袴(紅大口の上から着装する、窠に霰文様が浮き織りで表されている袴)、単(ひとえ:紅色地に繁菱文様)、襲(単の上から着装)、裳、袍、当帯、横被、七条袈裟、修多羅(しゅたら)です。持ち物は本装束念珠、檜扇で、履物は挿鞋か浅沓です。

「法衣装束貼交帖」江戸時代後期(千總蔵)

 

御装束師の姿

千切屋一門は法衣商として繁栄し、江戸時代前期には駕輿丁役(天皇の乗り物を担ぐ役)として禁裏に勤めていました。当時、朝廷の下部組織を支えていたのは、京都の富裕商人達でした。さらに千總5代当主・千切屋惣左衛門は、蹴鞠の家元である飛鳥井、難波の両家から入門を許されています。朝廷や公家と密接に関係を築きながら商いをしていた姿がうかがえます。

 千切屋惣左衛門がいつから東本願寺の御装束師となったかは明らかになっていませんが、江戸時代後期から明治時代まで東本願寺の門主や門主の近親である連枝、御堂を荘厳する打敷や水引を調進した記録が残っています。

五条袈裟雛形 明治25年(千總蔵)

 

千總は、御装束師として禁裏や公家、門跡寺院に出入りし、有職の知識から品格の高い装束を調進しました。明治維新以降、宮中の行事から仏教色が排除され、寺院と公家の関係は薄れてしまいましたが、有職文化は、京都の文化ひいては日本の伝統文化の中核をなすものであるといいます。

有職は、元は「有識」と表記し、博識である、知識が豊かであると行った意味があったといいます。公家の故実に関する正しい知識が有職であり、品格高い伝統を京都の文化を保持する上で必要です。

山口先生は、装束などの調進に携われる職人の規範、公家の故実に関する正しい知識が調和してこそ、有職故実の品格や伝統が守られ、宮廷の有職文化を中核とした京都文化の発展があるのではないか、と結ばれました。

 

 

山口昭彦氏のご助力のもと東本願寺をはじめ真宗大谷派の寺院から袍裳や袈裟、御茵や檜扇など、千總コレクションからは、装束の見本帖や打敷と袈裟の図案を展示しました。

◇本講演会の全文は、会員ページ内「発行物アーカイブ」よりご覧いただけます。

 

【講師】 山口昭彦(やまぐちあきひこ)

1961年福井県生まれ。大谷大学大学院文学研究科修士課程仏教文化専攻修了。

現在、東本願寺内事部書記。真宗大谷派圓正寺住職。

共著 京法衣事業協同組合設立10周年記念誌『京法衣商史』

*講師のプロフィールは講演会当時のものです。

◇本講演会の関連作品は、本サイト内「有形文化財ー御装束師の時代」で紹介しています。

https://icac.or.jp/culture/onsyozokushi/