株式会社千總ホールディングス(以下、千總)に所蔵される古書資料をご紹介してきた本コラムシリーズですが、今回は一度全体を俯瞰し、古書を含めた参考品収集の全貌を押さえておきたいと思います。千總における古書の収集については初回コラムにて簡単に触れましたが、最近の調査活動の成果も踏まえつつ、今一度振り返ってみます。
千總の参考資料
千總には近世・近代の絵画作品、小袖をはじめとした染織品、本コラムシリーズでご紹介してきた版本・肉筆本類など、多種多様な資料を収集・所蔵してきました。特に近代になって盛んに買い集められた小袖・古裂類と古書類は、単なるコレクションではなく、商品制作の参考品とされた可能性があります。
近世の千總は寺院や武家などを顧客に抱え、比較的安定した商売を続けていました。ところが幕末・明治の動乱の中で、西洋的価値観の流入、従来商品の国内需要の縮小、画家の困窮など、様々な課題に直面することになります。
そこで、それらの問題のうちいくつかに対する解決策として、友禅染の図案改良と量産化が図られます。「目新しい」「消費者好みの」友禅染め製品を「すぐに」「大量に」開発するには、膨大な量のデザインソースが必要となります。その活動を下支えしたのが、古書や古裂類だったのです。千總に遺る収集台帳を探ることで、その収集傾向が少しずつ明らかになってきました。
中国美術への関心
千總の参考品収集台帳である『図書部購入台帳』(以下、旧目録)には、中国の染織品や書籍を買い求めた記録が多数遺ります。国内で購入したもののほか、千總関係者が中国へ出張した際に現地で買い求めたものもあるようです。
※「支那」の語は現在差別的呼称であるとして使用されないが、本稿では当初の名称として資料名に使用される場合はママとした。
Fig.1は前者で、1922年(大正11)11月に長田なる人物から購入した記録が残る龍袍*2です。『支那工芸資料』(京都市商品陳列所編、1922年7月)に掲載された長田喜太郎所蔵の龍袍(Fig.2)と同一品とみられます。すなわち、千總が当時の所有者であった長田から直接購入したのでしょう。こうした龍袍の文様は祇園祭の黒主山の懸装品や千總所蔵の装束雛形(Fig.3)など様々な染織品にみられ、日本において珍重された様子がうかがえます。
◀(Fig.4)「岩波に雲龍」1875(明治8)年製 また、明治8年製の友禅裂(ゆうぜんぎれ)にも龍袍風の模様のものが遺ります(Fig.4)。友禅裂の方が年代が早いため、〈支那官服〉と直接的な影響関係はないと思われますが、この時代の友禅染製品に中国風の図案を取り入れる風潮は少なからず存在していたようです。 |
和書を求めて
近代アーキビストの足跡
[註]
*1京都市商品陳列所編『支那工芸資料』京都市商品陳列所、1922年、国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/967612 (参照 2024-05-22)
*2中国宮廷において皇帝一族が着用した、龍に雲・波・蝙蝠などの文様を表した外衣。
[参考文献・URL]
公益財団法人祇園祭山鉾連合会「山鉾について 黒主山」http://www.gionmatsuri.or.jp/yamahoko/kuronushiyama.html(参照2024-05-27)
第1回「千總と近世文化」
第2回「団扇本」
第3回「ちりめん本」
第4回「江戸時代の画譜」
第5回「名所図会」
第6回「武具図解本・目利本」
第7回「小袖雛形本」
第8回「有職故実書」
第9回「女子用往来」
第10回「文様集①」
第11回「文様集②」
(文責 林春名)